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インタビュー #10 「UNDIES ZINE」



ある日突然現れた、男性の下半身とパンツだらけのフリーペーパー。よくよく見ないと部位や体勢が分からないほどの至近距離から切り取った、男性の局部や臀部(パンツ付き)が次々と目に飛び込んできます。
誌面から漂うのは、柔らかな光を受け、思わず見とれてしまうほどの美しさと、性ではなく美を追い求めるが故のエロティックさ。男性の下着という存在に対してほとんど1mmも興味を持ったことのなかった女性でさえも、思いがけずこれらの写真から、全パンツの意味を考え、自分の“性”を見直してしまうような媒体です。
発行者である「UNDIES」というパンツユニットの男性二人組にお話を伺うべく、都内某所で待ち合わせ。インタビュー当日、私の目の前に座ったのは、「くつべら」という名の犬を被った人と、犬を気遣う髭が生えた中性的な人。そしてテーブルには、男性の局部がアップになった『UNDIES ZINE』と、撮影に使った実物のパンツ群が…。

『UNDIES ZINE』

メンズパンツをモチーフに、写真、イラスト、文章で表現する「メンズパンツ好きのためのマガジン」。パンツユニット「UNDIES」の二人が、モデル、撮影、執筆、デザイン、ほぼ全てを分担し制作している。撮影に使うパンツは全てモデル所有のもの。くつべら氏は約100着ものパンツを所有している。2016年創刊。

—パンツユニット「UNDIES」—
くつべら @9tubera
いぐちまなぶ @manabu_IGUCHI

●犬…???

野村:あれもこれも聞きたい…というフリーペーパーのことを伺いに来たのですが、お会いしたとたん、ますます気になることが増えてしまいました。まずは、なんで犬になっているのでしょうか?



くつべら:犬は3年前くらいからですね。僕より前に、すでに犬を被っている人たちがいまして、Twitterで見つけて僕も被るようになりました。これを被ってフェティッシュパーティー(※1)に行ったり、自分たちでイベントを企画したりしています。

野村:どういう人たちが集まって、主にどういうことをするパーティーなんですか?

くつべら:衣装の新作を発表しに来るみたいな人もいるし、ショーを楽しんだり、あとは交流ですね。基本的に社交場なので。写真を撮ってツイートし合う、みたいな。

野村:ファッションをほめ合うんですね。みんな男性ですか?

くつべら:いえいえ、女性もいますよ。男女問わず、30歳前後の人が多いかな。衣装にもお金がかかるので、20代後半くらいから実行力が出てくるというか…。30代後半から40代くらいになると、もうみなさんクオリティがすごいです。どんどん本格的な装備を揃えてきます。

野村:変身願望の具現化ということ?

くつべら:それはありますね。普段と全く違う自分になりたいという。だから、そういうところで顔見知りでも、みんな活動しているニックネームで呼び合っているので、本名は知らないんですよね。そういう風になりたい、そういう風に認識されたいっていう名前で呼んであげることが最大のリスペクトなので。僕のことはぜひ「くつべら」と呼んでください。



●パンツユニットUNDIESと『UNDIES ZINE』の誕生

野村:最初にUNDIES ZINEの表紙を見たときに、メンズ下着のブランドやメーカーの媒体かと思ったのですが、お二人ともやはりこういったファッションやアパレル関係のお仕事をされているのですか?

くつべら:全然違うんです。

いぐちまなぶ:オシャレとは無縁だからね。

くつべら:犬だしね。

野村:そうですか。確かに内容を見てみると、パンツというより下半身、それも局部や臀部をとても丁寧に愛を持って美しく扱っているという印象でした。そこにパンツが付属しているような。パンツに対する愛や身体に対する愛、美に対する愛…。とにかく「愛」というのを誌面からとても感じたのですが、お二人は恋人同士なんですか?



いぐちまなぶ:よく聞かれるよねーそれ。でも違うんです。そもそも犬だし。

くつべら:お互いにタイプと違うんですよね。

いぐちまなぶ:どんな関係だろうね。よく遊ぶよね。

くつべら:遊びの関係ですね。

野村:どういうきっかけでパンツのZINEを作ることになったのですか?

いぐちまなぶ:くつべらくんがパンツが大好きで、Twitterで自撮りしたパンツの画像を上げているのを見ていて、なんか変な子だなって思ってたんです。

くつべら:パンツの自撮りを上げるのは、くつべらアカウントを始めた5年前ぐらいから日課になっていたんですよね。

野村:パンツが好きで自撮りを…。

くつべら:それまでは田舎の実家暮らしだったので、ちょっときわどいパンツを買うのは郵便局に局留めにして取りに行ったり、こっそり楽しんでたんです。それが一人暮らしだと、何も憚ることなく好きに楽しめるということに気付いて。当時住んでいた家が朝の日差しがたくさん入る家で、朝撮ったらすごく絵になるんじゃないかと思って、自分で撮って投稿を始めたんですよね。

野村:なぜパンツだったんでしょう。何かきっかけがあってパンツに興味が向いたんですか?

くつべら:確か、ドン・キホーテの下着コーナーでセクシーなものを見かけたのが、最初のきっかけだったと思います。単純にすごく興味が湧いて。知り合いが見てるんじゃないか…とソワソワしながら購入したスリルと、実際に履いてみたときの気持ち良さ…。それが今に続いている気がします。あと、パンツだったら家族に隠れて洗ったり干したりできることとか、東京で一人暮らしするときにコンパクトにして持っていけるところもメリットでしたね。管理と手入れのしやすさですかね。




いぐちまなぶ:俺は当時、友だちや知り合いにモデルになってもらって写真を撮ったりしてたんですけど、くつべらくんの自撮りの写真をTwitterで何度も目にしていて、一眼レフで撮ってみたくなったんですよね。それでまず試しに撮ってみたら、パンツの形や生地によって、見せたい角度とか切り取りたいところが違うんだなという発見があって、いろいろ提案を出しながら撮っていきました。

野村:その時に撮ったものをベースに、UNDIES ZINEが出来上がったのですか?

いぐちまなぶ:フリーペーパーっていう話になったのは、その最初の撮影から1年後ぐらいかな。

くつべら:そうだね。なんか形にできるんじゃないかなって。僕はもともと、地元にいた頃はフライヤーとか紙ものを作っていたんです。東京に来てからは仕事でしかやっていなかったので悶々としていたというか。アウトプットしたかったんですよね。あと、まなぶさんの熱量。撮ってもらったら、「ここの生地のシワが…」とか「ここの盛り上がりが…」とかすごい熱弁してくれて。お互いに機が熟したというか、そういうタイミングだったんですね。



野村:創刊号から一貫して、とにかく写真が美しいですよね。表紙も毎号、興味をそそられるアングルと切り取り方で。

くつべら:表紙については、まなぶさんと相談して毎回自撮りでやらせてもらってるんです。

いぐちまなぶ:そこは俺も、くつべらくんの自撮りがいいと思っていて。彼がUNDIESのアイコンなんですよね。毎回テーマやアプローチを変えても、ベースのスタンダードなものはキープしていきたいんです。

くつべら:うん。

●人を繋いでいく、UNDIES流アプローチ

野村:第2号から、表紙で「メンズパンツ好きのための」と謳っていますが、メンズパンツ好きというのは、コミュニティがあったり、そういうシーンがあるんですか?

くつべら:あるのかな?

いぐちまなぶ:聞いたことない(笑)

くつべら:何となく興味本位で形にして「やりたいことをやった」っていう1号ができたときに、新宿二丁目にあるオカマルト(※2)に見せに行ったんです。フェティッシュイベントなどで面識のあった店主のマーガレットさんというドラァグ・クイーンの方が、「これまで見たことないし、面白そう」と言ってくれて、そのときにアドバイスもしてくれたんですよね。「手に取ってほしかったら、手に取ってもらうための工夫を考えなさい」と。

いぐちまなぶ:それで2号目からは表紙に一言入れたりして、パッと見て趣旨がわかるようにしました。

くつべら:そこで初めて、どういう人に手に取ってほしいんだろう、っていうのを考えましたね。男性だけでなく女性にも、性別問わず手にとってほしいですね。

いぐちまなぶ:俺は今は、女性に手に取ってほしいという意識が強いかも。一部の人だけでキャッキャするのも楽しいんですけど、もっと広い視点で見てもらいたいというか。



野村:メンズパンツがモチーフではありますが、メインテーマはやはり「性」という部分なのでしょうか。パンツと身体がとても美しく見える写真で、決して卑猥ではない、セクシャルなものをすごく感じます。品のあるいやらしさというか。

くつべら:その表現はすごい嬉しいです。

いぐちまなぶ:メンズの下着って、いやらしいものではないんですよね。ただの表面的なものでしかない。下品にならないようにしようっていうのは、創刊のときから今でも大事にしていることなんです。

くつべら:その感覚は二人ともとても近いよね。

いぐちまなぶ:性というものをあえて使っている、というところはあるかもね。ただ、それだけを見てほしいわけではないんです。



くつべら:見たこともないものを作りたい、っていう気持ちが大きいですね。印刷するならちゃんとしたクオリティのものにしたかったし、こだわって作りたかったんですよね。

野村:そのこだわりはZINEの配布場所にも現れていますか?

くつべら:そうですね。我々の行きつけのお店が多いんですけど、“Invitation”という配布MAPを作っています。純粋にこのMAPを拡げていくこともそうですし、これで人と場所や人と人を繋げていくということが、すごく面白いなと思っています。




いぐちまなぶ:「デパートメントH(※3)」という鴬谷で開催されているフェティッシュのイベントで告知コーナーがあって、その時にはこの“Invitation”だけを配っているんです。

くつべら:それは二人のこだわりです。絶対にZINEは配らない。

いぐちまなぶ:ZINEを置かせていただいてる場所が、自分たちが本当に好きなところなので、ぜひ足を運んでもらいたいんですよね。微力ながらZINEを使って、そういう面白い場所の紹介とか案内にも貢献できたらなと。

くつべら:それが、ZINEを置かせてもらうことに対してのお礼だと思っています。“Invitation”は、UNDIESのこの取り組みに対する「招待」っていうことなんです。

野村:それはすごく面白いアプローチですね。フリーペーパーまでのアクセスや、そこに起こる一連のムーブメントを含め自分たちの価値観を提示している。

くつべら:そう思います。だから僕たちが好きな、ZINEを置かせていただいているところっていうのは、こういうことを面白がってくれる人たちがいるようなところばかりなんですよね。

いぐちまなぶ:このMAPがもっと広がって、“Invitation”だけ持ってちょっとこっちも行ってみようよ、なんてなってくれたら嬉しいなと。

くつべら:最高だよね。

いぐちまなぶ:だから、ZINEの手渡しはしないんです。



●パンツから見えてくる、“人”

野村:くつべらさんの自撮りありきで始まったUNDIES ZINEですが、3号からは別のモデルも出てきますね。

くつべら:2号目までは自分たちも手探りで作ってきたのが、3号目からはやりたいことがはっきりしてきたんですよね。

いぐちまなぶ:あと、モデルも体型の違う人が出たりしたら、もっと幅広い楽しみ方ができるよねっていう話をある方からされて。それで3号4号とやってみて、誰がモデルになるかで、見え方がすごく変わるんだなと感じました。特に4号で自分がモデルをやってみて、パンツの選び方や見せ方で「自分らしい」ってこういうことだなと、すごく考えたんです。だからやっぱり、人それぞれのパンツ観っていうのがあるんだろうなと。

野村:人それぞれのパンツ観…!パンツは基本的にプライベートなものなので、そのパンツ観は本来は自分だけの楽しみなのかなと思うのですが、こうしてZINEにすることで、そのパンツ観を他人と共有することもできるんですね。



いぐちまなぶ:パンツってプライベートなものですけど、“完璧なプライベート”ではないと思うんですよ。完璧な、という意味でいくと、もう全裸なんですよね。パンツはその完全プライベートな部分を隠すためのものなので、パンツという存在自体はプライベートではあるけれどもパブリック寄りだと自分は思うんです。
あと、どんなパンツを履くかによって、気分が変わりますよね。たとえば「勝負パンツ」っていうのは、自分の気持ちを奮い立たせるために履くもので、履くパンツによって精神的にも少なからず左右されてるんですよね。だから、本当に好きなパンツを履いている自分っていうのは、やっぱり相当気持ちがいいんじゃないかな。



野村:お二人は、UNDIESというパンツユニットでショートムービーも作っていますね。ZINEも動画も一定のクオリティを保ちながらやるとなるとお金がかかると思うのですが、資金面はどうなっているんですか?

いぐちまなぶ:お腹を切っています。

くつべら:完全に。

野村:そこはそういう方針なんですね。

くつべら:誰かのお金でやっていると、その人のためになっちゃうから。自分たちがやりたくて、楽しんでやるのが第一なんです。無理のない範囲で楽しんでます。

いぐちまなぶ:こだわりは強いんですけど、遊びなんだよね。

くつべら:そう。遊びの関係なんです。

いぐちまなぶ:それは崩したくないよね。

野村:今後、紙と動画以外にやりたいことはありますか?

くつべら:いつかやりたいなっていうのが、展示です。二人展。

いぐちまなぶ:毎回、使えない写真がいっぱいあるんですよ。すごく良くてもテイストに合わなくて泣く泣く削ったりとか。文章や絵でもそういうのがあって、何もしないのももったいないなーと。

くつべら:展示以外にもアイデアはとにかくどんどん出てくるんです。ZINEのこのかたちはもちろん続けていきたいんですけど、もっとまるっとこの世界に入り込めるような場所を作って、関わってくれた人に感謝を伝えたいっていうのもありますね。いつもはこのZINEでやるんだけど、たまにテンション張って盛り上がるお祭りみたいなのをやりたいなと思ってます。

いぐちまなぶ:パフォーマンスとかもね。お祭り的なものはその時限りにはなりますけど、紙で見るのとはまた違った面白みのあるものができたらいいね。



●UNDIESの御用達

野村:最後に、おすすめのパンツショップやブランドを教えてください。

くつべら:MAPに載っているパラドッグ(※4)さんとか、今はもう店舗がないんですけど鎌倉のYipunMan(※5)さん。僕はこのYipunManのパンツががすごい好きなんです。肌触りが本当に気持ちいいし、生地の染色も落ち着いた色合いでいいんですよね。 あと、ユニクロも好きです。1号に載ってる中にユニクロのもありますね。

いぐちまなぶ:俺は、4号で履いてるやつなんですけど、ウンナナクール(※6)が、グラフィカルなのが多くて、柄がいいなと。基本的に女性の下着ブランドで、メンズもちょこっと作っているんです。作りが一般の男性下着と若干違うんですよね。ちなみに今日履いてるやつはね…。ジーンズのLeeが出してるパンツで、ジーンズみたいなんですよ。(立って前を開けて見せてくれました…)

(※1)フェティッシュパーティー:様々な性的嗜好を持つ人たちが、ラバースーツ、コスプレ、女装、SMなどのフェティッシュ・ファッションに身を包み集う。フェチにまつわるショーに興じたり、参加者同士が交流することを目的としたイベント。
(※2)オカマルト:新宿二丁目にある、LGBT関連の雑誌・書籍などを集めたブックカフェ。希少な資料も多数。
(※3)デパートメントH:東京キネマ倶楽部で毎月第一土曜日に開催されるフェティッシュパーティー。通称「デパH」。<参考>デパHとは? https://twitter.com/9tubera/status/905623159423905792
(※4)パラドッグ:原宿の男性下着専門店。ノーマルなものからかなりきわどいものまで、品揃え豊富。
(※5)YipunMan:鎌倉発のオリジナルアンダーウェアブランド。生地の染色から縫製まで、すべてこだわりの国内生産。
(※6)ウンナナクール:シンプルな形とカラフルな色使いが特徴の女性用下着ブランド。メンズアイテムもあり。

メンズパンツにこだわり自分たちの表現にこだわり続けるパンツユニットUNDIESは、終始息の合った会話で、お互いへのリスペクトを隠さない、とてもピースフルな人たちでした。
私はと言えば、人生でいちばん長い時間パンツについて考えたんじゃないか…そんな夜になりました。この先の人生では、もう少しパンツの存在を意識して、自分のためにお気に入りのパンツを探そうと思います。
後日、くつべら氏にメンズパンツのカテゴライズと選び方を教えていただきました。私のようにパンツを探しに行きたくなった方がいましたら、ぜひ参考にしてみてください!

また、現在『UNDIES ZINE vol.6』で紹介するお便りを募集中だそうです。メンズパンツにまつわる相談や質問にUNDIESのお二人が答えてくれますよ。

<UNDIESへのお便りはこちらから> https://docs.google.com/forms/d/1OO1wIHGeqeeSTT2T0xIZB3Dk3iclcBf0QgnVPg3ULp4/edit

<パンツ100着を所有する、くつべら氏のパンツの基準>
▼日常的
・ブリーフ
・トランクス
・ボクサーパンツ

▼非日常的
・ビキニ(Tバック/Yバック)
・スパッツ
・ジョックストラップ(Oバック/ケツ割れ)
・褌(六尺/黒猫)
・Iバック
・ノーパン
・その他

(くつべら)朝起きて、刺激が欲しいなーと思った時は、非日常的なものを選ぶことが多いです。ただ、非日常的なものばかり選んでいるとそれが日常になってしまうので、意識的に日常的なものを履く頻度を上げています。非日常ばかり選んでいると、日常的なものが非日常的に感じられて、その逆転現象もまた面白かったりしますよ。


text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 松江・野村(ONLY FREE PAPER)
ロケ地:代々木カレー


2017-10-25 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #9 「 手紙暮らし」



皆さん、最近手紙書いていますか?

僕は、20歳くらいの時に当時好きだった女の子に書いたのが最後だと思いますので、もうかれこれ10年以上も前のことになりますね。手紙って書いている本人の想いがすごく乗ってきやすいので、その後溢れでた感情により無事立派なストーカーが爆誕した記憶がありますけど。
まぁまぁ、ちょっと待ってください!この先、僕の季節はずれの怪談話は一切出てこないので何卒このページを去らずに先を読み進めていただきたいのですが、、、
(とりなおして)今目の前にいない自分以外の誰かに言葉を届ける手段がシンプル且つ迅速になり、それと同時に重要な何かを介入させるための隙間さえも利便が踏み消してしまったように感じる今日この頃です。

各方面で見受けられるアナログへの立ち返り現象は、単なる懐古主義では済まされない何かを内包しているように思わずにはいられません。
そんな中、スマートフォンサラブレッド世代の高校生が手紙について書き綴るフリーペーパーがあるというのを耳に挟み、これは話を聞かないわけにはいかないと思い、発行者の江森みずほさん(上部写真左)と岸田カノさん(同右)に学校生活も忙しい中、時間を作っていただき、お話を伺いました。

『手紙暮らし』

手紙を書くことの楽しさ、文通をすることの魅力を伝えるフリーペーパー。創刊は2017年7月。「インターネットで探したり、知り合いを伝ったり」という配布先は全国にまたがるがほぼ配布終了状態。現在は11月に発行予定の第2号を製作中。
https://www.facebook.com/tegamigurashi/
instagram @tegamigurashi


・手紙暮らしの始まり

松江:まずは、二人の出会いを伺えますか?

江森:私たちは二人とも、海外の方と文通をしていて、そのもらった手紙とかの写真をInstagramで紹介しているんですけど、そこでフォローし合っている関係だったんです。

松江:じゃあ、Instagramを通じて二人は知り合ったんですね。

江森:はい、そうです。でも特別仲が良いということではなくフォローし合っている中の一人でした。

松江:そこからフリーペーパーを作るに至った経緯を伺えますか?

江森:私は、海外の方を中心に文通をしていて、どの手紙もすごく素敵でもらった時すごく嬉しくて、とてもワクワクするので、このワクワクをみんなに共有したいなと思っていたんです。でも文通ってそもそもやってみようという選択肢が(周りの人には)ないので、文通を始めるきっかけ作りみたいなものをどうにかして作りたくて、それはどんな形でもよかったんですけど。
そんなある時に高校生でフリーペーパーを作っている人に出会う機会があって、「フリーペーパーいいかも!フリーペーパーならできるかも!」って思ったんです。それで誰とやろうかと考えた時にInstagramで同じ高校生で文通してる子がいることを思い出してすぐにDMをして、「一緒にやってみない?」と誘ったらのってきてくれたので始めました。

松江:そんなDMが来た時、どういう思いでしたか?

岸田:みずほとは最初に少しコンタクトをとっただけで1年ほどは特にやりとりはなくてお互い写真に【いいね】しているだけだったんですけど、ある日突然DMが来てたので見たら面白そうな内容だったので「是非!」って返事しました。そのあとお互い予定を合わせて会いました。

松江:じゃあその時に初めて顔を合わせたんですね。

江森:はい、結構ドキドキしました(笑)。

松江:フリーペーパーというものに関して以前に何か知識やイメージって持ってましたか?

岸田:親が紙ものが好きなので、フリーペーパーが置いてあるレストランとかに行くと料理待っている間によくフリーペーパーラックから取って来て読んでいました。でもまさか作る側にまわるとは思っていませんでした。



・文通のきっかけ

松江:文通はいつからやってるんですか?

江森:今高校3年生なんですけど、中学3年生の終わりからやっていますね。

岸田:私は今高校2年生で、海外の方を文通を始めたのは中学3年の終わりくらいからですけど、日本人の友達とかとは小学生の頃からです。

松江:小学生から文通ですか!えっとそれはいわゆるペンパルのような?

岸田:いえ。引っ越したのがきっかけなんですが、引っ越した先に友達が手紙をくれたんです。もともと書いたりすることが好きだったのもありますし、時間もいっぱいあったので2日に1回くらい書いてましたね。

松江:インターネットを使えば海外の方ともすぐにコミュニケーションを取れると思いますが、あえて手紙というアナログな手段を使った理由はありますか?

江森:小さい頃に読んだ絵本の中に手紙が山積みになった絵があったんですね。それがずっと心に残っていて、何かわからないけど好きみたいな。あと切手シールみたいなもので遊ぶのも好きでした。中学生頃になって『私、手紙が好きかも』って自覚し始めて、色々手紙について調べていたら【ポストクロッシング】っていう世界中の人とハガキを交換するプロジェクトがあるんですけど、それを見つけて『じゃあやってみよう』と軽い気持ちで始めたらハマったというのですかね。

岸田:私は、とにかく紙を触っているのが好きで、手紙もそうだし本を読むのも好きだし、図書館に行って紙を触ったり匂いを嗅いだりペンを持ったり、そういう感覚全てが好きで、そこからお手紙交換とかに広がって、そういうものがどんどん日常の中に入って来たという感覚で、特別これだっていうものはないんですけど。

松江:Instagramを見せてもらったんですけど、色々な国の方とやり取りしていますよね。そもそも世界各国の方とどのように繋がるんですか?

江森:世界中に私たちと同じように文通専用のInstagramアカウントを持っている人がいて、それがあるとお互い(文通を)やっていることがわかるので「私ともやらない?」みたいなDMが来たり、こっちから送ったりみたいな感じで繋がります。結局文通もInstagramから始まります(笑)。

松江:めちゃめちゃ面白いですね、それ(笑)。



・文通にまつわるあれこれ

松江:文通相手を選ぶ基準ってあったりするんですか?

岸田:同世代が多いです、だいたい(自分の年齢と)プラスマイナス5歳くらい。

江森:みんなどこの国も同じくらいの年代で探している人がほとんどです。

松江:何人くらいの方とやり取りしているんですか?

江森:ほんとは30人くらいいるんですけど、海外だから時間かかったりお互い忙しかったりで、密にやっているのは10人にも満たないくらいです。あとの20人は思い出した時に出したりで年に数回とか。

岸田:私は20人くらいで、よくやり取りしている子で1ヶ月に1回とかですね。

松江:Instagramに並んでいる写真を見る限りでもすごい数の手紙がありますよね?

江森:最近は忙しくてお休みしてるんですけど、多い時で年間300-400通くらいやり取りしてましたね。ほぼ毎日届いていたので。

松江:400!??岸田さんも同じくらいですか?

岸田:私はもうちょっと少ないですけど、100通くらいです。

松江:それでも100かあ。それと、どれも写真が整然としててとても素敵ですよね。

江森:手紙って自分もそうですし、相手も私のために時間かけて書いて飾ってくれたものなので。家に山ほど手紙がありますけど一つ一つがとても重いです。そういう重さは大事にしたいと思って撮ってます。

岸田:「この封筒の柄にこの切手合わせたのかぁ」とか思いながら写真を撮っているとその時自分が感じているワクワク感とかがそこに残る感じがして、撮っていてとても楽しいので余裕ある時は結構力入れて撮ります(笑)。

江森:自分が送った手紙を相手が投稿してくれてるのを見た時にやっぱり嬉しいので。お互いに『届いたよ!』ってInstagramに載せるまでが文通(笑)。

松江:なるほど〜!!

江森:でもそれがすごくいいなーと思っていて。(デジタルとアナログが)共存している感じがまた魅力的だなーって思います。私もSNSとかすごく使いますし、助けてほしいくらいiphone依存症です(笑)。

岸田:よく「SNSとか嫌いなのでしょ〜」とか言われるんですけど、かなりの確率で携帯見てるし、今の社会で生きてるからどっちも好きだなーって思いますね。

松江:すごい学びがあるなーその辺の話。



松江:ちなみに文通相手は日本人の方もいるんですか?

江森:私は一人だけですね。それも友達で、面識のない人とはしていないです。

岸田:私は20%くらいです。

松江:それは、異文化交流とか英語力の向上とかが目的だったりするんですか?

江森:中学生の時に色んな国に海外旅行行ってみたいと思っていたんですけど、時間もお金もないから実際に行くことはできないんですけど、色んな国の人と文通することで世界旅行した気分になれて。(言葉のやり取りだけでなく)物とか届いたりすることもあるので。そのことは手紙にハマるきっかけになりましたね。聞いたことのないような国の人でもその人が書いたものが今ここにあるんだと思うと、なんか世界ってどこも近いなみたいな。そういう部分に感動があったので海外の人が多いです。

岸田:そもそも日本人の方で手紙のアカウントを持ってやっている人が海外の方に比べると本当に少なくて。Instagramで日本人の方の(手紙専用の)アカウントを探すっていう感覚があまりないです。

松江:へえ〜。そうなんですね。

岸田:手紙が届くと家族も毎回興味津々で、おじいちゃんおばあちゃんもすごい目を凝らしてアルファベット読み取って「おおこれはスイスからじゃないか」とか。もう体が若くないので実際に海外の色々なところに連れて行くのは無理なんですけど、手紙で繋がることでそういう行けない人を連れて行けるっていうのがあるかもねっていう話を母親としていました。

松江:確かに、facebookとかでも海外の方と繋がれますけど、現地の気分を味わうのは難しいですもんね。

江森:匂いとかも違うので。手に取って封を開けた時に「うあ!海外の匂いがする!」とか。



松江:ちなみに文通相手と実際会ったことはありますか?

江森:一回あります。でも英語喋れないから不安すぎて、学校の帰国子女の子を連れて行ったんですよ。そうしたら向こうも英語があまり喋れなくて、向こうが連れてきた英語が喋れる友達と私の(帰国子女の)友達が仲良くなっちゃって、なんか寂しいなって思った思い出があります(笑)。
10月にフランスから来る予定のペンパルがいるので、その時は帰国子女を連れて行かないで一人で頑張ろうかと思ってます。

松江:手紙にまつわるエピソードで、他に印象的なものって何かあったりしますか?

江森:鹿児島県に仲良くしてくれている方がいて、手紙のやり取りをしているというか、私が旅先からハガキを送ったりするんですけど、「いつもみずほに手紙を書こうと思うけど、なんて書いていいのかわからずやめちゃうんだよね」みたいなことを言っていて。その方はさつま揚げを製造されている方なんですけど、「これが僕なりの返事です。」ってたまにそのさつま揚げを送ってきてくれるんです。私はそれが彼からの手紙だと思っていて、手紙って別に紙でなければいけないとか文字が書いていなければいけないとか思ってなくて、もっと自由なものだと思うんですよ。だとすると手紙の定義ってなんだろと思っていて。それがなんなのか私も今探してる最中なんですが。それについては考えていきたいですね。

松江:手紙の定義かぁ。確かに面白いテーマですね。

江森:今後フリーペーパーでその辺りをやりたいと思ってます。

松江:特に海外の方と文通することで感じたりすることはあります?

岸田:日本人であることを強く認識したっていうのはあります。海外の方と関わることでその国の文化とは違うんだなって思いますし、そもそも【日本人】として見られているので。そういう世界の中にいると、やはり日本人として日本の文化に興味を持ってもらえると嬉しいし、全力で伝えたいと思います。

江森:世界に対して抵抗がなくなりましたね。例えば、アゼルバイジャンとかよくわからない国でも、そこには同じように高校生がいるし、同じような考えを持って、同じように可愛いものが好きだし、それでその人が書いたものがここにあるしみたいな。なんか繋がれない世界ってないなって思って。

松江:それがインターネットじゃないっていうのが面白いな〜。

江森:インターネットの方が逆に遠い気がします。

岸田:その子が選んだ紙や封筒で、その子が書いた字が届くことでそこでその子が生活して当たり前のようにその子が存在しているんだなってことを実感します。

松江:あ、生きてた!って?(笑)

江森・岸田:(笑)

岸田:ニュースとかで海外の情報とかが耳に入ってくるとその情報だけを意識してしまって、行ったこともないし特に考えもしないのに、自然とその情報が脳に刻まれてしまっている部分がすごくあるなっていうのを手紙を始めてから気づいて。この国の人はこうだとか、性格はどうだとか。手紙を書くって送る相手のことを考える行為でもあるので、もしかしたらそれ自体が世界平和に繋がるんじゃないかと思って(笑)。
だって、ペンパルがいる国で戦争が起こったら『◯◯ちゃん大丈夫かな』って考えるし、日本で地震があった時も「大丈夫?カノ」って連絡をくれて。

江森:テロとかあっても【世界のどこか】で起こっている出来事だったのが、誰かのことを考えることで人ごとじゃなくなったのが大きいですね。



松江:海外と日本の手紙文化の違いって何か感じますか?

岸田:郵便事情は国によって全然違いますね。日本の郵便が如何に早いかというのもだんだんわかってきました。ロシアと中国はのんびりで、なくなっちゃうこともたまにあります。それも含めて面白いなって思います。そういった時間を感じることで『手紙も旅をしているんだな』って感覚になります。

松江:手紙とメールとかLINEの違いついてはどうですか?

岸田:手紙が一番【空間がある】と思っていて。封を開けた時に、自分と相手とそしてそこに書かれている内容、その世界がそこに詰まっていて。LINEとかは日常の続きというか。特別な空間はそこにはないっていう認識があります。

江森:フリーペーパー作り始めてから思ったんですけど、手紙って感情を保存できるなーって思っていて。嬉しいこととかムカついたこととか心動くことがあった時に、例えば『来週話そう』だと来週にはもう冷めちゃってると思うんですよ。LINEでその時送っても来週見返したらそれはそれで冷めちゃってる。でも手紙だと、書いているその時の感情が紙に保存されてると思っていて。だから時が経って自分の感情は更新されても、その読んだ先でまた感情が蘇るというか。SNSではそういうのはないと思います。

松江:時差で感情が届く!

江森:はい。お互いの時間の中で感情を共有できるなと思います。あと、周りの友達が言ってた事なのですがtwitterやLINEがあるからこそ手紙っていうものが特別に感じる、だから好きって。



・再びフリーペーパーのお話

松江:こう言っては失礼かもしれませんが、すごく良く作られていて、デザインとかも可愛いし、そして1000部も刷っていると伺いましたが、まずお金の工面はどうしているんですか?

江森:調べたら1000部なら5万円でできるっていうのがわかって、結局そんなかからなかったんですけど。それなら2人で折半したらバイトとかすれば特別賄えない額でもないかなと思って。それに趣味の延長なので、それなら払ってもいいかなと思って。
1号目を出した時に個人協賛を募ったんですけど、それとは別に企業協賛もいくつかいただけて、そのおかげで2号目は今の所なんとかなりそうです。

松江:じゃあ、1号目は完全に自腹ですか??

江森:1号目に掲載させていただいた切手展の広告費とあとは自腹ですね。

松江:紙面もそうですけど、個人協賛を募っているところとか、その募集の文面とか全ての道筋においてすごくきちんとしているので、正直『これ絶対後ろに大人いるな』って思ってたんですよ。

江森・岸田:(笑)

松江:じゃあデザインとかレイアウトも全部自分たちで?

岸田:二人で「こういうのいんじゃない?」というのを言い合って「こういうのいんじゃない?」の重なり合いで出来ていきました。

松江:どうやって作っているんですか?イラストレーターとかですか?

江森:ほとんどパワーポイントとかキーノートとかですね。イラストレーターは高くて買えないので、学校のPCに入ってるやつをたまに借りたくらいです。

松江:まじかー。え、じゃあこういうのも(シンプルだけど立派な名刺を始めにいただきました。)全部自分たちで?

岸田:それは名刺を頼める一番安いところを探して作りました。最近、名刺作っといてよかったなと思います。色々な方と会う機会があって大人の方は皆さん名刺持っていらっしゃるので(笑)。

江森:自分たちの気持ちをあげるためにも形から入ったみたいなところもあります。



・手紙暮らしと周りの人たち、そして今後

松江:親御さんはこういう活動をどう見てます?

江森:温かく見守ってくれています。お金の部分でも少し協力してくれてたりしますが、協賛であれ知り合いの方からお金をもらうのはよく思っていないみたいで。知り合いの方とかにフリーペーパーをあげる時に「あ、あの協賛を募る紙抜いといたよ」とか言われました(笑)。

松江:(笑)

江森:「なんかいやらしいじゃん」とか言って(笑)。

岸田:始めた時に、「あんまり大きくしない方がいいよ」とは親に言われました。「盛り上がりすぎないようにしなさい」って。

松江:このインタビュー大丈夫ですか?(汗)

江森:大丈夫です。ありがたいです。

岸田:でも最近は「インタビュー行ったよー」とかそういう話を(親に)すると「素晴らしいね!」みたいな感じでだんだん理解してくれるようになりました。最近は(自分が)調子に乗らないように気をつけてます(笑)。

一同:(爆笑)

松江:調子に乗ってるフシがあるんですか?(笑)

岸田:いや、なんかウキウキしてきて、あー調子に乗ってるなーって(笑)。
何でもそうですけど、今ある状況を当たり前だと思わないようにしたいなとは思ってます。

江森:こうやって話聞きたいって言ってくださることを光栄に思って。

松江:偉いなぁ。。。

松江:じゃあ今は自分たちが【手紙暮らし】というメディアを作っていることに自覚を持ってやっていると?

江森:やっぱり作ってても人の手に渡るまで実感が湧かなかったんですけど、今は、感想を言ってくださったりとか、応援してますって言ってくださったりとか、そういうリアクションが返ってきて、こうやって本当に人に読まれるんだってジワジワと実感してます。ウキウキしちゃいますね(笑)。

松江:周りの友達の反応はどうですか?

江森:フリーペーパーについては、学校の友達は本当に応援してくれていて、読みたいと言ってくれるし、感想をくれるし、時にはクラスのみんなが作業を手伝ってくれたりもするのでとても感謝しています(笑)。
実際文通を始めるに至る人はまだ少ないですねけどね。

松江:いいねー、、、終わりみたいな?(笑)

江森:はい。でも、フリーペーパーを読んでくれてその後に手紙で返してくれたり、そのまま文通少し始めたり、私が手紙を楽しんでいる姿を見て「私も誰々に手紙書いてみたよ」とか言ってくれる人も出てきていて。私がきっかけで一通の手紙が生まれたらすごい幸せだなって思います。

松江:もっと大きくしたい願望はありますか?

江森:ありますね。というか、元々の思いが【もっと手紙のことを知ってほしい】というところなので、多くの方に読んでもらえるのはすごい嬉しいんですけど、今は【手紙好きの方】の中で広まっている気がしていて、(手紙が興味ない方も)手紙暮らしを読んで、『ああ、手紙っていいな』って思ってもらいたいので、そういう意味ではもっともっと広がるようはしたいです。

松江:やりたいと思うことと実際やることの間にはとても大きな壁があると思うのですが、実際に形にしたそして今後もやっていくモチベーションってなんですか?

江森:『手紙いいねー』で終わっちゃって、始めない人がいることがモチベーションですね。じゃあそういう彼らを始めさせるにはどうしたらいいんだろうっていう。
第2号では、じゃあ実際文通相手を見つけるにはどうしたらいいのかとかそういうことを具体的にやろうと思っているんですけど。前の号で伝わっていないことがあるならそれが次の号のモチベーションになります。

松江:フリーペーパー製作は一人でもできるといえばできるじゃないですか。岸田さんを誘ったのは自分のモチベーションをあげるという意味合いもあったんですか?

江森:それもありますし、好きなものが同じ人と喋ることで一人では思いつかない新しい発見とかもあって、感情を共有できるのが大きいですね。

岸田:手紙をやり取りして、写真撮って、Instagramにあげてというのは楽しいんですけどそれはどちらかというと、一人の価値で完結していることで、今までの自分は、それを共有しようとかあまり思っていなくて、まあ手紙好きな人もいればそうじゃない人もいるだろうし、みたいに思っているところがあったんです。でもフリーペーパー作りを始めてから、自分とは違う感覚を持っている人の意見や想いを知る機会を多く持たせていただいて、自分の世界も広がっていったり、視野が広くなっていくことをひしひしと感じているので、フリーペーパー作りに誘ってくれたみずほにも、手紙暮らしを作るにあたって関わってくれた方々にも、すごく感謝しています。あと、インタビューとかの時に二人だとすごく心強いです(笑)。

江森:(うんうん。とうなづく。)

松江:学校があって、部活もあって、という中でフリーペーパーを作るのは大変じゃないですか?

江森:大変ですね(笑)。

松江:フリーペーパー作りってそもそも別にやらなくてもいいことじゃないですか?忙しい中で、それでもやるっていうパワーはすごいですね。

江森:確かにやらなくても高校卒業できるし、学校生活も毎日楽しいし、満足してるんですけど、嬉しいことがあるとやっててよかったなって思いますし、世界もすごく広がりますし、、、

松江:世界が平和にもなるし。

江森・岸田:(笑)

松江:めちゃめちゃ素晴らしいことづくしじゃないですか!これから進学のことで色々忙しくなったり、そのあとは大学生になったりでどんどん環境は変わっていくと思いますが、ぜひ続けてほしいですね。



立派なフリーペーパーを作る高校生たちは、おそらく同じ年代の彼らとほとんど何も変わらない、等身大の2人組でした。
ただ(今回のインタビューで知る限りでは)一つだけ違うものを持っていて、それは手紙への大きな愛という何者にも代えがたいものでした。
手紙を取り巻く環境は大きく変化しましたが、その本質は何も変わらず、変わってしまったのは僕らなのかもしれない。アナログとデジタルを、そうすることが当たり前というように使いこなす彼女たちのお話を聞いているとそんなことを深く考えさせられました。
今日僕は早速ペンを取り、誰に書くのかそもそも誰かに向けて書くのか、そんなことは考えずにただただ思ったことを紙に記しています。
皆さんも、どうですか?
喧騒の中で慌ただしく日々を過ごすのも悪くありませんが、フッと一息ついて久しぶりに手紙など書いてみませんか?


interview・text 松江(ONLY FREE PAPER)
photo 野村(ONLY FREE PAPER)


2017-10-09 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #8 「 ORB」



目というものは時に炎に焼かれ、時に矢に射抜かれ、時にクジラが直立する。これには憐憫の情さえ覚える。
しかし、目は時に口にもなり、鼻にもなるのだ。僕は、『ORB』というフリーペーパーを見た時に間違いなく、海外のZINEが持つあの【匂い】を嗅いだのだった。そしてどうやらそれは、英語と日本語からなるバイリンガルフリーペーパーであるという部分から放たれている訳ではなさそうだった。さらに、純度30%ほどのノスタルジーが僕に覆いかぶさってきた。
無性に気になったそのフリーペーパーをよく読んでみるとどうやら小笠原諸島について書かれているフリーペーパーであることがわかった。気になったものが身になる間も無く、さらなる好奇心がそびえ立ってしまったのだった。

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父島より船で24時間。たまたま発行者のルディ・スフォルツァさんが内地に来ているという情報を聞きつけ、早速お話を伺うことにしました。
なお、本文中の【東京】という表現はすなわち本土の東京を指しております。小笠原諸島も東京都ではございますが、便宜上今回はこのような表現で統一しておりますことご了承ください。

『ORB』

観光ガイドには書かれない、小笠原に住むヒトやモノ、文化や歴史を発信するフリーペーパー。創刊は2016年。おおよそ年2回の発行予定で、現在は2号まで発行されている。
https://www.facebook.com/boninislandorb/




・『ORB』を作り出すヒト、マチ

フリーペーパー、特に印象深いものには必ず物語があります。今回はひと際その点が気になってしまったので、フリーペーパーのお話を伺うより前に、発行者さんやそのバックグラウンドについてじっくり伺ってみました。

松江:スフォルツァさんのことについてざっくり伺ってもよろしいでしょうか?

スフォルツァ:生まれは東京です。父親がイタリア人なので以前は毎年夏にイタリアに滞在していたりしましたが、生活のほとんどは東京ですね。高校はスイスの学校に通っていました。高校卒業後は、東京の大学に通いながら仕事を転々としていました。いろんな会社で働きましたが主に日本語と英語を活かした内容の仕事が多かったです。その後、段々と東京から離れたいと思うようになり、以前より興味のあった小笠原に旅行として行きました。その後紆余曲折あって小笠原への移住を決断し、今年で小笠原歴5年になります。現在の仕事はフリーランスで日英翻訳しているのと、島の子供達や大人向けに英会話レッスンをしています。

松江:なぜ小笠原に興味があったのですか?

スフォルツァ:島という場所に興味があり、その中でも最も遠い所にある小笠原には何か惹かれるものを感じました。最初に旅行で小笠原に行こうと思った段階では島への移住は具体的に考えてはいませんでした。

松江:行ってみてどうでしたか?

スフォルツァ:当時色々な仕事をしてきてましたが中々うまくいかず、常に自分自身がしたい事を探していました。しかし、それが何かは分からなかったんですね。そうしているうちに次第に『自分が何をして生きたいか』ではなく、『どのような場所で生きたいか』というふうに考えるようになりました。そういった心境でいた自分にとって、とても印象深かった小笠原への旅は「あれ?ここに住むのアリなのでは?」という気持ちにさせてくれました。

松江:それは具体的にどのような点でしたか?

スフォルツァ:自然の環境がとにかく美しいという点もありましたが、それに加えて島に住んでいる人達の人柄の良さが大きかったです。出会った人たちは皆とてもおおらかで、島全体がとてつもなく平和だなと感じました。事件なんてほぼ起きません。家の鍵は基本開けっ放しで、車の鍵もロックしません。子供が一人で夜中に歩いていても何の心配もありません。こんなに自然が美しく、そして安全な人間コミュニティーは他にないと思い、ここなら生きるために自分のするべきことを見つけられるかなと感じました。

松江:最初に小笠原に行かれてから移住するまではどのくらいかかりましたか?

スフォルツァ:3-4年ですね。移住するまでには3回行きました。最初の旅行から今の妻(当時は未婚)と一緒に行っていたのですが、予想に反して彼女も(小笠原への移住に対して)乗り気だったんです。彼女も街出身なのでその反応は意外でしたね。

松江:実際移住される際に何が一番大変でしたか?

スフォルツァ:まず大変なのが家を探すことなんです。基本的に空き家がほとんどないんですよ。オーナーや大家さんの口コミで決まってしまうため全然情報が入ってこないんです。そもそも戸数が少ないですし。

松江:島全体として移住者を積極的に誘致しているということもないのですか?

スフォルツァ:積極的か言われればそうではありませんね。地方創生みたいな動きは特に見受けられません。ただ若い人はいっぱいきます。永住というわけではありませんが、短期で働いてお金貯めて、でまたどこかに行くみたいな。だから入れ替わりは激しいですね。1-3年くらい島にいたっていう人は割と多いと思いますよ。



松江:第1号の後記に「小笠原ほど様々な魅力と特殊性を持った場所は世界にも多くありません」という記述がありますが、どのあたりにそれを感じますか?

スフォルツァ:一つは歴史的背景。小笠原諸島は元々欧米人やポリネシア系の人々が定住していました。正式に日本となってから日本人も一緒に暮らすようになり、独自の言葉や文化が形成され始めました。今ではその文化的特徴は薄くなってきましたが、まだ残っているものもあります。ただ、これらの出来事はわずか200年弱前に始まったことですので、小笠原の歴史は若く、まだ始まったばかりとも言えます。
また、個人的に大きな特徴だと思うのは距離感ですね。小笠原諸島は東京から1000km離れていますが、たどり着くのに24時間かかります。この時間的距離は自分達の住む国や社会に対する客観的な視点を与えてくれます。おかげで同じ日本に暮らしていても、この国や社会に対する考え方は少し変わってきます。目まぐるしく変化し、混沌としてきた現代に生きる上でこのような視点を持てるというのは非常に貴重で重要なことだと思います。
あと、人間の住む場所と自然との距離感がとても近いです。海はどこに住んでいても数分以内にあるし、山や森に入りたければ同じような距離にある。このように、島の中と外の世界をとりまく距離感が絶妙だと思います。
もちろん自然環境に目を向けないわけにもいきません。小笠原の島々っていうのは一度も大陸と陸続きになったことがなく、独自の生態系を形成しています。そのため小笠原にしか存在しない植物や生き物が数多くあります。その特殊性はやはり魅力です。世界自然遺産でもある小笠原の自然は世界でここにしかありません。

松江:まだ残っている独自の文化を感じたことはありますか?

スフォルツァ:米軍統治時代に建てられた建物もまだ多少ですが残っていますし、日本語と英語が混じり合ったような小笠原言葉っていうのはご年配の方がたまに使っているのを耳にします。

松江:小笠原言葉??気になります(笑)。

スフォルツァ:例えば、、、車のバックを見るときにこうやってやりながら(手でバックするジェスチャー)「ゴーヘイ、ゴーヘイ」って言ってるんですよ。のちに知ったんですがGo ahead(この場合の意訳としては『下がってきていいよ』)が訛って「ゴーヘイ」になったみたいです。そういう英語が砕けて日本語になるみたいなものは割と多くあります。

松江:暮らしやすさについては東京と比べてどうですか?例えば気候だったり。

スフォルツァ:東京みたいなはっきりとした寒暖の変化はありませんね。内地とは違うものですが植物の栄枯で四季を感じることもできます。あと《色》ですね。

松江:色?ですか?

スフォルツァ:空や海の色ですが、春が終わりに近づき夏っぽくなってくると一気に小笠原の夏の海の色に変わるんですね。信じられないくらいの透明度が出てきて、ちょっと沖に出ると青が物凄く深いんですね。その色は特殊ですね。小笠原ではそれを『Bonin Blue』っていうんですけど。それはもうここにしかないです。
夕日もすごく綺麗なんですが、秋の夕日と冬の夕日はやはり明らかに違うので、そういうもので四季を感じることもできます。


誌面には美しい写真がたくさん掲載されている


松江:食べ物はどうですか?【小笠原に来たらこれ!TOP5】お願いできますか?

スフォルツァ:

・ウミガメ料理(ほとんどのお店にあります)
・島寿司(主に漬けのサワラのにぎり)
・トマト(まずはそのまま食べるべし)
・レモン(そのままでも食べれるくらい甘い)
・ボニンアイランドコーヒー(USKコーヒーというカフェで飲めます)
※順不同

ですかね(笑)。

松江:ウミガメ!!???食べていいんでしたっけ??

スフォルツァ:はい。小笠原の伝統的な郷土料理です。だいたい刺身か煮込みでいただきます。

松江:刺身、、、。美味しいですか?

スフォルツァ:、、、(笑)。個人的には食べても食べなくてもいいという感じですね。

松江:でもウミガメを食べるということ一つとってもやはり独自の文化や歴史を辿ってきていること実感しますね。先ほど距離のお話もありましたが、小笠原の新鮮で地に足のついた情報がこちらに中々入ってこない理由がだいぶわかってきました。

スフォルツァ:島には娯楽施設がないこともあり、年間通して島民が参加する行事なんかも多く、どのイベントも大人から子供まで多くの人が参加して、みんな全力で楽しみます。そこも小笠原のとても良いところです。例えば夏の盆踊りは三日間続き、だんだん人が増えて踊りの輪は二重にもなり、最終日の最後の踊りの後は必ずアンコールがおきます。自分も旅行で訪れたときこれを目の当たりにして、「なんて平和なんだろう、、!」と思わず踊ってしまったのを憶えています。
秋にも例大祭があり、三日間の間に神輿担ぎや、相撲大会、演芸大会が行われます。1日かけて村を回る神輿担ぎの熱気もすごいですが、相撲大会も観客席に収まりきらないくらいに人が集まって盛り上がります。小笠原の相撲大会ということで、父島、母島、そして硫黄島に駐在している自衛隊員の方々もこの時期に合わせて来島し、参加します。いつも決勝に残る人達は素人とは思えない技と迫力です。その中でも硫黄島の自衛隊の人達は体を鍛えているだけあり手強く、この一戦は観客も注目の大一番です。どうしても ホームである父島や母島の出場者への応援の方が勝るので、いつも自衛隊の人達がヒールみたいになります(笑)。でも終わるとどちらが勝ってもみんな拍手で称え合う暖かい雰囲気がいつも印象的ですね。島民も自衛隊員に負けず劣らずの強さを発揮し、最近の大会では父島島民が続けて優勝しています。今年は誰が勝つのか、楽しみです。



・古き良きものを継承し、咀嚼し、更新する

紆余曲折を経て、東京から1000kmの孤島に移住することになったスフォルツァさんとフリーペーパーを結んだものは何なのか。生き方に迷っていたスフォルツァさんが何故メディアを作ったのか、伺いました。

松江:そもそもフリーペーパーを作り始めたきっかけは?

スフォルツァ:島に来て、この島の中で何かを見つけたいなと思っていました。自分自身の問題としても。そんな中で、第一号にも載っている『グリーンペペ』っていうお店に行った時にそのお店のマスターが40年以上も前に仲間と一緒に今でいうローカルメディアを発行していたというのを知って、それを見た時に「あ、これだ!」って思いましたね。それは、自分たちが言いたいことや興味のあることをただ書き連ねて発行していたものなのですが、自分もこういうことがやりたいなーっていうのは以前からぼんやりと思っていたので、最初はもうこれを手本に、島民の声をかき集めてそれを発行するというところから企画を始めました。

松江:その40年前に発行されていたというのが『スコール』なんですけど、これめちゃくちゃすごいですよね!!ORBの紙面上で解読できる部分は読みましたけど、現代にも通じる内容が書かれていたり現代社会を示唆しているように読み取れる部分などもあって。便利になったとはいえ、人間は欲深いので結局同じ悩みを抱えてるなーって(笑)。
でこれ、紙媒体だからこそ今こうやって読むことができていると思うんですよね、もちろん当時はインターネットなかったので選択肢としてないわけですけど、現代に置き換えてもそう思います。

スフォルツァ:そうですね。自分も読んだ時に同じようなことを感じましたね「今と言ってること同じじゃん」って(笑)。

松江:原本は『グリーンぺぺ』のマスターが今でもお持ちになられているのですか?

スフォルツァ:はい。これは絶対記録しなきゃいけないなということで、データに起こして書籍という形にできたらいいなとは思っています。

『ORB』の原点となった『スコール』掲載ページ


松江:好きなフリーペーパーとか影響受けたフリーペーパーとかありますか?

スフォルツァ:『88』っていうフリーペーパーですね。フリーペーパーを企画する前にたまたま島の知り合いにもらいました。初めてちゃんとフリーペーパーというものに目を通し、自分のフリーペーパーの《あるべき感じ》みたいなイメージのベースになったと思います。紙質や大きさがフリーの雑誌であるという感覚に当てはまっていて、それでも中身の作りはしっかりしていてデザインがかっこいい。フリーであるという感覚を大事に表現しつつ、このように質の高いものがあるんだと感激しました。
その後、フリーペーパーを作ろうと決めたとき真っ先に思い浮かんだのが『88』でした。雑誌の形や紙を選ぶのに参考にしようと思い、いろいろ調べました。ただ、島にいながらだと実際に印刷屋に足を運んで紙質を確かめたりもできないので、すみませんと思いながら同じ印刷会社様に問い合わせて、最終的に同じ紙と判型がいいと思い、依頼しました。そして仕上がりを手に取ったとき、正解だったと思いました。自然との暮らしを大事にしようとしている小笠原諸島のフリーペーパーの感覚としてピッタリだなと。なので『88』には非常に感謝しています。

フリーペーパー『88』(奥)と『88』の元編集長菊地さんが現在発行している『DEAL』(手前)


・『ORB』が見据える先

作りたいものを作るということは大切なことであるが、読者をしっかり想定することもやはり大切であります。このフリーペーパーが小笠原やその島民にとってどのように解釈され、またそれはどのような役割を果たしていくのか。

松江:『ORB』という冊子はそもそも島民の方々に向けられているメディアなのですか?

スフォルツァ:まずは島民が楽しんで読めるものであることが『ORB』の基本的な姿勢です。しかしそれは同時に小笠原には住んでいないけど小笠原のことが好き、または惹かれているという人たちにとっても興味深い内容になっていると思います。小笠原の観光情報は近年増えましたが、小笠原の人やライフスタイルについて伺えるものはありません。『ORB』はそのような小笠原の本質的な部分を島民の目を通して写す役割を持っています。ORB(球体)の名前も、小笠原の核心的なものを覗ける《目》という意味があります。そういう小笠原の島と人の人生みたいなものを覗くことによって、小笠原の知らなかった側面に気づき、旅しにいってみよう、もしくは移住してみようと感じてもらえたら最高です。
また、日本語と英語が使用されている理由は、小笠原の言葉は元々英語と日本語の両方であったという文化を示したいからです。今でも欧米系の子孫の島民で、英語の方が楽という人達はいます。本当の意味で、小笠原の島民全員が楽しめるには英語も重要なのです。

松江:では、島民の方だけではなく外に向かって小笠原をPRしていくという側面も含んでいるのですね。

スフォルツァ:はい。自分が知っている小笠原っていうところはこんなに面白いところなんだよ!っていう。島民だってそれぞれで住んでいるところも違えば、している仕事も違うし、同じものを見ても感じることは違う。個々それぞれに『小笠原の世界』があると思うんですよね。だから、『ORB』は自分の目から見た小笠原の世界なんです。

松江:編集者の主観がふんだんに入っていることは重要だと思いますね。その辺りが『ORB』の面白さに繋がっているのだと思います。

スフォルザ:ありがとうございます。

松江:『ORB』を読んだ小笠原の人たちからの反応はいかがですか?

スフォルツァ:ポジティブな意見が多かったですね。 雑誌の手触りがすごく小笠原のイメージに合っているとか、デザインの雰囲気が好きなど、多くの人にすごく喜んでもらえました。第一号を見て広告を載せたい!と言ってくれた人も多かったです。その中でも一番良く言われたのが島への愛が伝わったという声だと思います。小笠原の島民は皆、島に対する愛が非常に強いので、そのように言ってもらえるのが一番の褒め言葉ですね。ORBは島民の人に一番楽しんで欲しいと思っていたので、素直にうれしかったです。

松江:今後のビジョンについてお伺いします。第二号の紙面のpatagoniaとの交流プロジェクトのように、外との交流も積極的に行いたいとお考えですか?

スフォルツァ:興味はすごくあります。小笠原は来年返還50周年で一つ節目の年になります。もしかしたらこれから色々変化していく時期なのかもしれないと思っていて、将来の小笠原がどうなっていくのか、まずは自分たちがしっかりとしたビジョンを持つことがすごく大事なのではないかと思っています。外との交流からいいアイディアをもらったり刺激を受けたりすることはそのビジョンを形成していく上でとても重要なことだと思っています。

松江:ありがとうございました。最後に【スフォルツァ流小笠原諸島の通な楽しみ方】をご教授いただけますでしょうか?

スフォルツァ:小笠原まで来たら時間を気にせずにゆっくり楽しむのが通な島の楽しみ方だと思います。ドルフィンスイムやカヤック、森歩きなどのアクティビティーも間違いなくおすすめですが、その日の天気や気分によって自由に過ごすのが自然相手に楽しむコツかもしれません。例えば、

・飲み物、ご飯、本を持って小港海岸で一日まったりしたり泳いだりする。
・海がベタ凪ならSUP(スタンドアップパドル)で海遊散歩。
・USKコーヒーで100%ボニンアイランドコーヒーを飲み、カフェすぐ横のコーヒー畑の風景を楽しむ。
・自分の好きな夕日スポットを見つける(一年中見える場所もあれば、季節毎にしか見えない場所もあります)
・母島に行く(母島は父島からさらに2時間程の船旅なので、母島まで行く人は間違いなく通と言えます)
・ジョンビーチへのハイキング。片道2時間半ほどかかるが、素晴らしい父島の南側の風景が360度広がる。
暑い季節には水着とシュノーケルを持ってゴールのジョンビーチの青い海で泳ぐ。水2リットルは必ず忘れないように。
・奥村地区にあるバー・ヤンキータウンで酒を飲みながらオーナーのランスから島の昔話を聞く。

具体的な場所で言いますと、小港海岸(島では数少ない砂のビーチ)、ジニービーチ(カヤックやSUP等でしか行けない、別次元のビーチ)、アカガシラカラスバト・サンクチュアリー(絶滅危惧種のハトを守り、島固有の植物が多く見れる自然保護区域)、ウェザーステーション(太平洋に沈む夕日が見れる展望台)

などはいかがでしょうか?



東洋のガラパゴスと呼ばれる絶海の孤島で発行されるZINEは、島の歴史・文化がそうであったように、西洋と東洋の交配によって生み出されたハイブリッドマガジンでありました。それは、発行人すなわちハーフであるスフォルツァさんご自身であるかのようでもありました。お話を伺う中で徐々に見えてきた姿、そしてそれと逆行するかのようにやっぱり現地に行って、見て、感じないとわからないぞという謎は同時に色濃くなっていきました。つまりまんまと虜になったわけであります。
おすすめはやはり夏(だそうです)!今年はもう終わってしまいそうですが、日本返還50周年である2018年の夏、小笠原諸島でお会いしましょう!!

《おまけ》
「あまり(数が)ないんですよ、、」と言いつつおすすめの食べ物を5つも挙げてくださったスフォルツァさんですが、おすすめのお食事処も5つ挙げてくださいました!なんてサービス精神旺盛なんだ、、、!!Thank you for your hospitality!!You are the man!!

【父島のおすすめごはん処5選】
茶里亭(チャーリーブラウン)
島の食材を提供してくれる人気のお店。2店舗体制で、居酒屋気分なら茶里亭、洋食系の料理ならチャーリーブラウンへ!

グリーンペペ
おそらく父島で最も古いレストランで、ORBの原点です

ボニーナ
港のすぐ近く、おしゃれな雰囲気のレストラン。お酒の種類も豊富で、個人的おすすめはランチのポキ丼

ラドフォード
島のサーフレジェンドが作るおいしい島料理が堪能でき、カラオケも楽しめる南国のレストラン

あめのひ食堂
船が着いてすぐにうまいランチが食べたいならココ!


interview・text 松江(ONLY FREE PAPER)
photo 野村(ONLY FREE PAPER)


2017-09-12 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #7「ゾンビ道場」



『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が公開されてから早半世紀近く経た2017年、ゾンビは市民権を得、カルチャーのひとジャンルを担い、どこかチャーミングな印象を持ち得るに至っています。
しかし、幼少期に何度も戦慄させられた『バタリアン』の強烈な恐怖よろしく、モンスターである本来の不気味さは未だ健在です。
そしてそんな多様化する【ゾンビ】はフリーペーパー界にも進出しています。
ファンシーで親しみやすく“子供ホイホイ”なイラストとは裏腹に「精神病クリエイター生存の記録」「メメントもらない」「主治医からの発言『一生治りません』」など、不安な気持ちを掻き立てる文字列が愛らしいイラストにそっと華を添える手書きの冊子。
表紙をちらと見る限りでもただ事ではないことを訴えかけるフリーペーパー『ゾンビ道場』。色々気になるので、発行者のTokinさんにお話を伺ってきました。

『ゾンビ道場』

双極性障害と解離性同一性障害を患うイラストレーターTokinさんが発行するフリーペーパー。内容は主に精神障害と暮らす日々の記録。月刊から始まり現在は不定期(年3-4)発行で第21号まで発行されている。
http://tokin.info




・心の病気について

フリーペーパーの大きなテーマとなっている精神病。Tokinさんは双極性障害(躁うつ病)と解離性同一性障害(多重人格障害)を患っていらっしゃるが、そもそもの始まりや自覚していく過程について伺いました。

松江:このフリーペーパーのキャッチにもなっていますが、双極性障害や解離性同一性障害について『もしかして自分はそうかも?』って思うきっかけは何かあったのですか?

Tokin:高校生の時にある日突然学校に行けなくなって、それが何なのかわからなかったんですが。あ!もうだめだって思ったんですよね(笑)。パニックというかすごい貧血のような感じになって、その日は家に帰ったんですが帰った時には単純に体調が悪いというわけじゃないというのが自分でわかったんですよね。親は「内科じゃなくて?」みたいな感じでしたけど、それはもう違うって自分でわかってたので。そこから精神科通いが始まりましたね。

松江:へえー。でもなかなかそっち(精神科の領域)に思考が行き着く人ってそんなにいないようにも思います。思ったとしてもなかなか行動に移せないと思ってしまうのですが。

Tokin:そこに至るまでに小さな体調不良みたいなものがずっとあって、、、。頭痛いから内科とかお腹痛いから胃腸の専門の方とかその都度診察してもらっていたのですがどこで診てもらっても具体的に悪いところがなくて。それでもやっぱり体調は悪いし、なんだろうなーとモヤモヤしていたんです。そんな中で先ほど話したパニックみたいなものがやってきた時に今回のやつはいつものとはヤバさが違うぞと思って。ああ、、、これは、、、(精神科の領域だ)と思いました。

松江:では、小学生や中学生の時は特に目立った不調はなかったのですか?

Tokin:そうですね。特になかったですね。でも、解離性同一性障害というのはすごく強いストレスがあったとか何かきっかけがあって発症するものなのですが、小学生の時にあまり人間関係がうまくいっていなかったのでもしかしたら(解離性同一性障害の発症の原因は)それなんじゃないかとは思っています。

松江:最初は双極性障害や解離性同一性障害について特に知識もなく診察に行かれたと思うのですが、初診の段階でパッと診断されるものなのですか?

Tokin:それが全然そんなことはなくて、きちんと病名を診断されるまで約10年かかりました(笑)。

松江:ええ!??10年ですか???

Tokin:初めて行った時は高校生の時だったんですが、思春期の患者さんには簡単に病名を告げないというのがそこの先生の方針だったみたいで。思春期というのはただでさえ揺れやすい時期なので。そこからしばらくは聞いても曖昧な感じで、、、『病名を告げることはそんなに重要なことではない』とか、、、それで通い始めてなんやかんやで7-8年経った頃に友達に別のカウンセリングルームを紹介してもらったんです。そこで話をしてみると「解離性障害って言われたことあります?」って初めて言われて。そのことをずっと通っていた方の先生に言ったら「町のクリニックであるうちじゃ診れない」って言われて違う病院を紹介されました。その転院先で初めて正式に解離性同一性障害と診断されました。その後色々薬の処方してもらったりしている過程で双極性障害であることもわかって。その段階でやっと大元の原因が明るみに出てきたわけです。

松江:むむむ。。これはなかなか根深そうな問題ですね。。。

Tokin:よくわからないまま時だけが進んでいくのはとても大変でしたし、原因がないのに不調を訴えるのは自分が悪いと思っちゃったんですよね。私の根性が足りないんだと。それで試行錯誤してメンタルトレーニングや宗教についての本を読んだり、偉人の名言集みたいなものを読んだり、あと食事療法とか。色々自分なりに工夫してやっていました。

松江:そういうものが結果的にどんどん精神的には悪い方に行ってしまったということですよね?

Tokin:そうですね(笑)。

松江:精神科だけに限ったことではないですが、診断までに時間がかかってしまう問題はどうしたらいいんでしょうかねー。結局いい先生に出会える確率の問題になってしまうんですかね、、、。

Tokin:そうですね、、、あとはやっぱりセカンドオピニオン大事だと思いますね。いっぱい薬出しとけばいいみたいな先生もいるので。

松江:難しい問題ですね。。。あ、すいません、、ちょっと問題提議が逸れてしまいました。。。

Tokin:やはり、目に見えて何が悪いってわかるわけじゃないのが難しいですよね。

松江:だからこそ、Tokinさんのように当事者が発信するリアルなメディアはすごく貴重だと思いますし、ナーバスな問題を発信するのはものすごく体力を使うことだと思うので本当にすごいと思います。めちゃめちゃ体張ってますもんね(笑)。



・フリーペーパーという紙メディアを使って発信していくということ

精神的にタフな状況に置かれたTokinさんが自らを発信していくこと。その一つとしてフリーペーパーというメディアを選択したことについて伺いました。

松江:そもそも何故ゾンビ道場を発行しようと思ったのですか?また、何故フリーペーパーだったのでしょうか?

Tokin:入退院を繰り返している時期だったんですが、退院した時にやることがなくて(笑)。以前からフリーランスで絵の仕事をちょこちょこさせていただいていたのですが、症状の方が制御しきれないくらいになってしまって。仕事に関しては、迷惑かけちゃいけないからっていうのがあって隠してやっていたのですが、このまま隠してやっていくのは無理だというところまで来てしまって、、、。仕事はできる状態ではなかったんですが、絵は描きたいというのがあって、暇だということでフリーペーパーを書き始めました。フリーペーパーであれば出さなきゃいけないという使命感もないし、のびのび出来そうだし、リハビリにもちょうどいいかなと思って。

松江:フリーペーパーというとクーポン誌や求人誌のようなものがパブリックイメージとしてあったと思うのですが、最初から現在発行されているような手書きの形式は想像できたのでしょうか?何か参考にされたフリーペーパーなどあったのでしょうか?

Tokin:私が高校生くらいの時に手書きのフリーペーパーを作っている人がちょくちょくいたんですよ。吉祥寺の雑貨屋さんや本屋さんに結構そういうフリーペーパー置いてありましたよね。その時のことを思い出してノリで作りました。その後ONLY FREE PAPERに持って行った時にホットペッパーみたいなものがフリーペーパーって呼ばれていることを知りました。

松江:逆に!?

Tokin:逆に(笑)。

松江:そもそも自身の経験や思いを発信することに抵抗はなかったのですか?

Tokin:壊したらまずいような仕事上の人間関係もなくなってしまったので。そして、見栄を張るより弱みを見せてしまった方が仲良くなれると思っているので発信することに抵抗はありませんでしたね。あ、あと、、そうだ!

松江:はい?(笑)

Tokin:フリーペーパー作るモチベーションとして、暇だとか単純に作ってみたかったとか色々ありましたが、一番は実験をしたかったんです。

松江:実験??

Tokin:入院先で知り合う友達とか同じような境遇の人が『わかってもらえない』という事をすごく言っていたんですよ。健康な人から見ると何か特別でとても理解しがたいものとしてみられると。でもその時私は『わかってもらえない』という言葉にすごく違和感があったんです。私は今まで自分の病気について(誰かに)わかってもらおうと思ったことがあっただろうか?と。あまりなかったんです。だからわかってもらおうと何か働きかけをしたことももちろんありませんでした。その時に『ああ、じゃあ私がやればいいんだ』って思ったんです。何かアクションを起こせばわかってもらえるかもしれないし、「わかってもらえたよ!」って同じ病気の人に言ったら少しは安心してもらえるかもしれないじゃないですか。その反応を試す実験をしようと思って。それで最初に使ったのがフリーペーパーだったんです。だからなるべく多くの人に届くように病院とかではなく町の本屋さんや雑貨屋さんに置いてみようと思いました。

松江:Tokinさんはイラストを描けるわけですが、そのことは紙媒体を作るモチベーションの手助けになりましたか?

Tokin:自分で話すとか、直接的な方法で発信していくのは無理だと思いましたが、何か書いたものを渡すことならできると思いました。あと絵を描くことが単純に楽しいんです。


Tokinさんの水彩画作品(http://tokin.infoportfolio』より)



・イラストレーターTokin

絵を描く事を生業としているTokinさん。絵を描く事を職業とするようになったきっかけや、そもそもTokinさんにとって絵を描く事というのは一体なんなのか?

松江:そもそも小さい頃からイラストレーターになりたいと思っていたのですか?

Tokin:はい、そうですね。

松江:絵はいつ頃から描いていたのですか?

Tokin:小さい頃からすでに描いていましたね。美大に進学したくて、中高一貫で芸術コースがある学校に入ったのでその時にはすでにイラストを描く仕事に就きたいと思っていましたね。でもその高校を辞めてしまったので人生設計がぐちゃぐちゃになっちゃったんですけど(笑)。それでも絵を描きたいというのはずっとあって。絵の仕事はいつだったか、、、学校辞めて割と早い段階でやっていたんですよねー。知り合いのイベントのチラシを描いたりだとか、ちょこちょこですけど。

松江:え?それは仕事としてですか?

Tokin:はい。

松江:どういう経緯でそうなったんですか?好きな事を【仕事にする】っていうのはそこに一つハードルがあると思うのですが。

Tokin:仕事にすると言っても職業として成り立つほどではなかったですけど、最初は知り合い伝いに仕事をもらったり。あと親戚がアパレル関係の仕事をしていて、そこから仕事をもらっていましたね。今度何たらフェアがあるから絵描いてーとか、カバンに絵を描くみたいなことは高校生の時からやっていましたね。そもそも仕事として絵を描くっていうビジョンが最初からあったんですよね。好きだから絵を描くっていう意識は最初からなかったんですね。描くのであればお金はもらうし、もらうならもらえるだけのものを描くという。

松江:ここの部分というかタイミングというか、多くのフリーランスのクリエイターさんにはとってとても興味深い話だと思うんですよね。

Tokin:私、ホームページを作っていたんですよ中学生の時から。ホームページビルダーみたいなやつを使って。それがポートフォリオだったんですけど、友達や親戚がそれを面白がってみてくれていたんです。それが大きかったのかもですね。

松江:(SNSが主流になり、個人で色々発信できる)今それを真似しても全然でしょうけど、当時は丁度良い具合だったんでしょうね。

Tokin:そうですね、作品を書いて載せている人自体がそんなに多くなかったし、中学生が自分のホームページを作っているというのも当時は面白かったんでしょうね。

松江:絵を描くということは小さい頃から体に染み付いていたんですね。

Tokin:ですね。あと、絵を仕事にするということについては高校辞めちゃったことも大きかったんです。美大に行くルートが一旦そこで途絶えてしまったんです。受験する根性とかないしできるとも思えなかったのでもう自分でやるしかないと。

松江:へえー!!20歳前後でその覚悟を持てるってすごいですよね。その年齢ならもっと他に易しい選択肢はあったはずですし、そもそもその時すでに精神の健康は思わしくなかったわけですよね?

Tokin:親にも特にプレッシャーをかけられるとかなくて、ただ私の中で悔しさがあって。周りの人はみんな大学行って就職してというルートを辿れるのに私は辿れないという。その悔しさを解消するには、絵が上手くなってそれを人が見てくれてそれで仕事してというルートを行くしかないというかそう思い込んでいて。そう考えていかないと精神がもたなくて。アイデンティティがなかったんです。学生じゃないし、外でバイトできるメンタルでもなかったし、でも自分が何者でもないのが嫌だったから【絵を描く人】っていうアイデンティティが必要だったんですよ。肩書き欲しかったですねー(笑)。

松江:強いですねー!誰に何言われるわけでもない環境の中で、それだけ自分を奮い立たせるっていうのは本当にすごいことだと思います。

絵を描くことはTokinさんがTokinさんであるために必要不可欠であり、それはもはや身体の一部であるかの如く。
では、絵を描くこと・ゾンビ道場を書くことは心理的な部分と影響しあっているのか伺ってみました。


松江:精神的にネガティブな部分であったり危うい部分があるから絵が描けるってことありますか?

Tokin:よく聞く話ですけど、こじつけですよね(笑)。だってそうでも言わないと報われないじゃないですか。

松江:ゾンビ道場でいうとvol.8くらいまで結構荒れてたじゃないですか(笑)。そこからベクトルがちょっとずつ変わって言った気がするんですよね。それに伴い発行頻度も少なくなったので『あ、精神的に落ち着いてきたのかな?』って。

Tokin:そうですね。わかってもらえるかどうかの実験として始めたんですが、vol.5くらいの段階で割と達成されちゃったんですよね。結構みんな読んでくれたり聞いてくれたりして(笑)。その時点でイライラする必要がなくなって、そうなったらこれはもう作らなくていいんだろうと思ってたんですが単純に作ることが楽しくなっちゃって。あと、何か大変なことがあっても(ゾンビ道場に)書いちゃうとスカッとするっていうのがあって。なんかやめる理由もないしもっと書こうってなりました。

松江:同じタイトルとはいえ、あ!“月刊”は取れましたけど(笑)、作っているモチベーションは変化しているということですね?

Tokin:はい。でも言いたいことは一貫していて、まずこういう人がいますよーこういう病気がありますよーってことが一つ。そして、それでも何とかやっているというか、(そういう人たちが)毎日常に絶望し、塞ぎ込んでいるわけではないということですね。『克服してハッピー!』ということではなく、ハッピーとは言い切れないけどまあ悪くはないよねっていう日常が発信されているっていうのは意味があるんじゃないかとは思っています。

松江:ズバリ、Tokinさんにとって絵を描くことは精神的な部分とつながっていますか?

Tokin:んー。実感としては良い時も悪い時も描けるって感じですかね。嬉しかったら嬉しい絵を描けばいいし、辛かったら辛い絵を描けばいい。そして、その絵がある程度のクオリティに達していればレスポンスがもらえるんですよね。それが辛い絵だったとしても。レスポンスがもらえれば寂しくならないですし。

松江:ゾンビ道場についてはどうですか?

Tokin:自分のマイナスな部分を書いてみると自然と解決策を考えるようになり、問題点を改善しようという主体的な意思が出てきたような気がします。
以前は自分の欠点に気付くと、それだけで気が重くなっていたので、、、。あと、何より、絵や言葉や漫画を描くことにめちゃくちゃ自信が付きました。



笑っていいのか戸惑うが、クスッと笑えるのもゾンビ道場


・ゾンビ道場発行後の反響

精神病についての周知実験として始まったゾンビ道場発行はその後思わぬ反応をもたらした?
そしてTokinさんの現状や今後についても伺いました。


松江:先ほどvol.5くらいである程度の達成感を得たとおっしゃっていましたが、発行後すぐにリアクションはありましたか?

Tokin:それがあったんですよ。vol.3くらいの段階で結構。躁状態の時に自己顕示欲が爆発するのでめちゃめちゃ宣伝しまくっていたんですよ(笑)、「作ったよー!」「出したよー!」「配ったよー!」って。ブログ・ツイッター・手渡し、ガンガンいってましたね。初めて行くお店とかでも図々しく置かせてもらったり(笑)。

松江:やはりそれ(リアクションがあったこと)は大きかったですか?

Tokin:手応えありましたね。実験に対するアンサーが得られるのは単純に楽しかったですし「おっしゃー!」ってなりましたね。

松江:ですよねー。

Tokin:そもそもが反応ありきだったので。とてもモチベーションになりました。

松江:どんな反応がありましたか?

Tokin:色々な反応ありましたけど、概ね好意的な反応でしたね。あと、見せた時にカミングアウトしてくるパターンも多かったですね、実は私もそうなんですって。

松江:発行した当初、そのような反応は予想していましたか?

Tokin:いやー全くですね。もっと見世物的なものになるかなと思っていたので、あまり心温まるようなものは想像していなかったですね。

松江:色々な反応がある中でゾンビ道場は約5年、現在21号まで発行されていて、ご自身の活動も活発になられ、新聞やテレビなんかのメディアにも出られている現状や環境の変化をどう感じていらっしゃいますか?

Tokin:うーん。なんでしょう。でもやっぱり言えるようになってよかったなっていうのはありますね、隠していることがすごく辛かったので。風邪じゃないのに風邪って嘘ついたりするとその後会った時に「この前の風邪大丈夫?」みたいに言われるとそれについてまた嘘をつかなきゃいけないじゃないですか。嘘の連鎖というか。。。そういうものに対して「今日(精神的に)体調悪くなっちゃって行けなくなった」と言えるようになって気が楽になりましたね。

松江:今後の希望とか目標って具体的にありますか?

Toin:ゾンビ道場を読んだり私が発信することで(病気ことを)言えるようになる人が増えたらいいなと思いますし、言える社会になればいいと思いますし、そのために私は言っていこうと思ってます。

松江:ちなみに過去のゾンビ道場のバックナンバーをご自身で読み返して感じることありますか?

Tokin:自分は不真面目だといつも思っているんですが、紙面をみるといつも必死なので『私って真面目じゃん、、』と安心します。と同時に『心配しすぎるから心配になるんじゃないか?』いう気もしますが、たぶん性格なので仕方ないです。
vol.1-6くらいについては、状態が不安定でかなり家族に迷惑をかけていたので、ひたすら『皆さんごめんなさい』という感じです。それから、イラストのスキルが上がってるのが目に見えるのが嬉しいです!

松江:具体的な目標といえば、ゾンビ道場に「本出したい!」って書いてありましたね(笑)。

Tokin:本出したいです!!!あとは、やっぱりフリーペーパーだと【広域に】という意味ではなかなか届かない範囲もあるので何か大きい媒体に定期的に書くとかもやりたいですね。

松江:活動の幅を広げたいということですね。

Tokin:ゾンビ道場で直接的に書いていることをもう少しマイルドな表現にしているものが自分の絵だと思っていて、そういう私が作るもの何でもいいのですが、それを見て『辛いことを言ってみよう』とか『(病気の人の)言っていることを受け入れてみよう』とか、当事者の人もその周りにいる人も何かを感じてもらえたら嬉しいし、そういう空気を作り出せる土台になれればいいなと思っています。なんか壮大な目標ですけど(笑)。

松江:でも、そういう意味ではすでに幾分か達成されていますよね(笑)。

Tokin:読んでくれる人がいるおかげです。

松江:本出しましょ!!



・ゾンビ道場の由来

松江:今更ですが、改めて、ゾンビ道場の由来は?

Tokin:ああ(笑)

松江:絶妙なタイトルだと思うんですよね、ポップで親しみ易いんだけどやっぱり少し不気味で、、、。塩梅が最高です。

Tokin:【ゾンビ】については、入退院を繰り返したり躁鬱を繰り返したりで、死んでいるようで生きている生きているようで死んでいる状態がまさにゾンビだなと。【道場】については、それを繰り返していく鍛錬の場のようなイメージです。多くの人がそこで己を鍛え上げているという。だから一人ではないんですよね。

松江:あーなるほど!そんな意味もあったんですね!!

Tokin:後付けですけどね(笑)

松江:おおっ!すごい!今日お話伺った中で出てきた【受け皿になりたい】という部分と【道場】という部分が繋がって綺麗に収まりました!!ありがとうございます!!


発行当初から当店ONLY FREE PAPERではお取り扱いさせていただいておりますゾンビ道場は、発行の度にご本人に直接お持ちこみいただいておりました。
一筋縄ではいかない病気を抱えながら、それでも前に向かって進んでいく力強さを当初から感じていましたし、それは時には鬼気迫るものもありました。今回初めてじっくりお話を伺うことで、その理由が少しわかったような気がしました。とても大切な言葉も伺うことができしましたし、病気の方もそうでない方もそれぞれに悩みを抱えながらも理解しあって生きていくことの意味を今一度考えてみたいと思いました。

なお、9月17日から30日の約2週間、ONLY FREE PAPERヒガコプレイス店にてTokinさんの個展が行われます。
詳細はこちら。ぜひ遊びにいらしてください!


interview・text・photo 松江(ONLY FREE PAPER)


2017-08-23 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #6 「 BLUE+GREEN JOURNAL 」


 深い緑や生き物の息づかいを感じる印象的なイラストが全面に配されたタブロイド判の大きな表紙と、そこに印刷された「奥多摩町公式」という意外な文字。ヒガコプレイスからは電車で1時間半、東京の奥座敷とも言われるこれまでの奥多摩のイメージを覆すような大判のフリーペーパー『BLUE+GREEN JOURNAL』を作るお二人に会いに奥多摩へ行ってきました。
 編集と制作は株式会社ミゲルの宇都宮浩さん、曽田夕紀子さんご夫妻。都心から奥多摩町に移住したお二人に、ジャーナルのこと、奥多摩での暮らしのこと、移住のことなど、いろいろ伺いました!

『BLUE+GREEN JOURNAL』

印象的な写真やイラストを軸に、ガイドブックでは伝えられない奥多摩町の奥深き魅力を発信する、奥多摩町公式の無料タブロイド。2016年創刊。
https://ja-jp.facebook.com/bluegreenjournal/



●都心から奥多摩へ

野村:まずは、都会暮らしだったお二人が奥多摩に移住することになった経緯を教えてください。

曽田:もともと私は田舎暮らしがしたいと思っていたんです。彼は全然そんな気がなかったんですけど、奥多摩に遊びに行くようになって、ここだったら現実的に都心で仕事をしつつ暮らすというのができるなと。それでゆるく物件を探すようになって、探し始めて2年目くらいにこの家を見つけました。

宇都宮:僕は大都会が好きで、最初はあんまり乗り気じゃなかったんですけど、一緒に遊びに来ているうちにだんだんその気になってきて。とにかく川で普通に泳げることに感動してしまったんです。川遊びって子どもの頃からあんまりやったことがなかったので。あとは、二人ともダイビングの雑誌の編集部にずっといたりして海のカルチャーは何年も見てきたんですけど、山はまた雰囲気が全然違って静かで。そういう魅力もありましたね。

野村:現在はこちらのご自宅でお仕事をするスタイルですか?

宇都宮:家でももちろん仕事をするんですけど、お茶の水に事務所があって、週に2,3回はそちらに行きます。

奥多摩のご自宅に住む猫たち。奥は都心時代からの同居猫「モス」、手前が最近仲間入りしたという「さとる」。



●町のオフィシャル媒体でやりたいことをやる

野村:2015年に奥多摩に移住し1年経たないうちに『BLUE+GREEN JOURNAL』を創刊していますが、移住前から準備していたのですか?

曽田:そもそもこういう仕事をしているし奥多摩は魅力的なところだから、紙で何か媒体を作りたいねという話はしていたんです。で、奥多摩町は各家にスピーカーがついていて毎日町内放送が流れるんですけど、私がたまたま家にいたときにその町内放送で「町のためになる計画募集」というのが流れたんです。町のためになる企画に対して町が支援をするという<元気なまちづくり推進事業>というもので、それがたまたま「明日閉め切りです」っていう放送だったので、急いで調べて資料を作って提出して、その一週間後くらいにプレゼンに行きました。

宇都宮:会社として普段は雑誌や書籍の仕事をやっているんですけど、受注の仕事をとにかく忙しくやって経験も積んできて、誰にも束縛されないで自分たちが良いと思うような媒体を作りたい、紙で作りたい、という気持ちが二人とも高まっていたんです。その<元気なまちづくり推進事業>の話を聞いたのがそういうタイミングでしたね。

野村:町の事業ということですが、例えば媒体をフリーにするとか、内容に町の意向はどれくらい汲み入れていますか?

曽田:コンセプトとして、奥多摩の魅力をガイドブックではないかたちで発信しながら、最終的にはこれを見て移住者が増えたら良いねというのはあるのですが、具体的な内容についてはほとんど好きにやっています。無料配布というのも、多くの人に手に取ってもらえるということで、フリーペーパーとして発行したいという提案をこちらからしました。

宇都宮:役場で人を紹介してもらったり、最終段階で内容の確認はしてもらっていますが、ほとんど直しというのはないですね。


野村:地元の人の反応はどうですか?役場や町の主要なところにはだいたい置かれているとのことですが。

宇都宮:イラストが面白いとか、すごいいいね、という声は予想以上にもらっていますね。町のオフィシャルマガジンということで役場が駅やバス停に置いてくれたり、あとは観光案内所や飲食店などにも置かれています。そのルートは最初からできていて、それプラス僕らが知り合いに紹介してもらったアウトドアショップとかカフェとか、そういうところに置いているので、配布ルートはけっこう恵まれているんです。

曽田:回覧板でも回してくれていて、奥多摩の人はみんな知ってくれてはいます。

野村:回覧板!創刊から一年くらいでほぼ100%の認知率ということですね。

曽田:人数が少ないから。5000人くらいかな…。

宇都宮:あとは地元の反応だと、文字が読み辛いとかも言われたりはするんですけど、この媒体は受注の仕事ではなく完全に自分たちが中心で作っているので、僕らの中での正解みたいなものをかなり気に入ったかたちでアウトプットできているんです。例えば文字が読み辛いということについては、レイアウトや写真、イラストがいい感じであれば、時には文字の視認性を犠牲にしてもいいじゃん、と思ってます。大きな紙で写真を捲って、ああなんかよさそうね、みたいなかんじでも、それはタブロイドとして機能している。そもそも雑誌やタブロイドって、「見てて楽しい」とか「なんかすげえ!」とか、そういう感覚的な面白さがないとつまらないと思っているんですけど、いまの本屋さんに売っている雑誌からそういう面白さがどんどんなくなっていると僕らは感じていて、『BLUE+GREEN JOURNAL』は、全部が読みやすくとか写真がはっきり分かるように、とかじゃなくてできるだけ思い切ってやる場にしたいというのがあったんです。

曽田:フリーペーパーとかインディーズ系の雑誌は面白いものがあるじゃないですか。それはやっぱり、編集長だったりアートディレクターだったり、強い思いを持った人の世界で作ってるものがやっぱり面白いからで、雑誌ってそういうものだと思うし、自分たちもそういうものを作りたいなと思いますね。

野村:お二人の好きなフリーペーパーはありますか?

宇都宮:OFPで見たものだと『ヘルス・グラフィックマガジン』とか、あとはスノーボードの『DEZZERT magazine』。あれは既存の出版社でやろうとすると、文字入れろよとか情報入れなきゃとなってきちゃうと思うんですけど、あの人たちは「とにかくかっこいいビジュアル載せたいでしょ」っていう、ぶっ飛んだ感じがすごい面白いなと。作り手の傲慢さみたいなものを隠さないというか、そういうものを読者としても期待しているし、作るとしたらそういうものを作りたいですね。




●生き物との距離感が変わった奥多摩暮らし

野村:ここからは「移住」について教えてください。それまでの生活の場であった都心と奥多摩とでは環境がガラッと変ったと思いますが、どんな生活の変化がありましたか?

曽田:家が広くて手の入れがいがあるので、家のことをやる時間が増えましたね。畑をちょっとやったりとか味噌作ったりとか、日々の生活することをもっと楽しむということをやっていきたいなという気持ちになりましたね。

宇都宮:奥多摩の前は浅草に住んでいたんですけど、その頃はほぼ100%外食だったんです。今は7,8割自炊かな。僕はやんないんですけど…。

曽田:まあ、物理的にお店が少ないんです。

宇都宮:あとは、生き物に優しくなった。

曽田:虫を殺さなくなりましたね。蛾とかもすごいいっぱいいて、最初はいちいち殺してたんだけど、もうきりがないし、この環境ではこっちがアウェイな身なのに殺生するということに抵抗が出てきて、虫を一匹殺すのにも気持ちが変わったよね。

宇都宮:めちゃくちゃ変わった。例えば、いま蟻が家の中にもすごい来るんですけど、「アリの巣コロリ」とか置いて何万匹という蟻が死ぬのはオレたちの傲慢じゃないかって話になって、わが家の蟻問題は今ちょっとそこで止まってます。
あと車で走ってて鹿に遭遇したりとか、猿やイノシシが畑を荒らしたりとか、動物の気配を身近に感じるので、対生き物ということに関してはここではすごいアウェイ感がありますね。

曽田:アウェイだね。人間が。


野村:住んでいる人の雰囲気や距離感なども都心と違いますか?

曽田:浅草は、引っ越す前は「ご近所付き合いが面倒」と聞いていたんですが、実際のところは全然付き合いがなかったんです。こっちは大家さんが野菜をくれたり、一緒にバーベキューをしたり、あとは奥多摩の移住者の仲間がどんどん増えてきました。

宇都宮:まあ、人数が少ないから自然と知り合いになる、みたいなね。やっぱりこういう場所なんで、田舎暮らしがしたいとか、静かなところで子どもを育てたいとか明確な理由があって、ちょっとしたハードルを越えながら来た人たちばっかりなんです。なので話をしてると、自分のやりたいことはやる、みたいな気質をみんなそこはかとなく持っていて、食べ物や暮らしぶりとかも、自然に選択している感じが僕らにとっては心地良いし、学ぶところがありますね。

野村:移住のデメリットは感じていますか?

曽田:デメリットが、思ったほどないんです。前は浅草で徒歩30秒でコンビニに行けるようなところに住んでいて、今は車で15分行かないとお店がないようなところだけど、そういうのも慣れちゃえば全然不便じゃないんですよね。

宇都宮:逆に東京のど真ん中で暮らしているとそっちに慣れちゃうんですけど、いま週に2,3回青山に行ったりして、そうするとオシャレだな〜と。東京の良い部分、モダンな部分とかファッショナブルなところとかを敏感に感じるようになっていますね。あとは満員の通勤電車とか、当たり前の東京だと思ってたことにすごい違和感を覚えたりとか、東京のど真ん中に対する正しい認識が再入力されるみたいな。

野村:お二人は今後もずっと奥多摩で暮らしていきますか?

曽田:奥多摩は、すごい気に入ってます。でも何がなんでもここにずっと住むぞ、という気持ちでもなく、何か機会があってほかに良いところがあったらそこに住むこともあるかなとは思うんですけど。ずっと住んでもいいなと思うくらいには気に入ってます。

宇都宮:夫婦の関係性でいうと、奥多摩移住はいいんじゃないかなと。こういうところに住んでいると協力し合わないと生きてけないんですよね。例えばうちだと、電車で出かけると駅から一人じゃ帰れないんです。迎えに来てって言わないと。そういう連携というか気遣いというか、多少なりともそういうものが必要になっていくので、家庭円満になる人が多いんじゃないかな。

移住から2年ちょっとで、奥多摩は完全にお二人の暮らしはたらくフィールドとなっているようでした。仕事の上でも生活の上でも信頼関係を深め続けるお二人を見ていると、奥多摩に移住するのもいいなあ〜などと思えてきてしまいます。

●奥多摩をさらに高いところから見る

さて、ここからは車で案内していただき、ご自宅から10分ほどの白丸湖へ。奥多摩は視界に入るのが7割がた山と空。まさにBLUE+GREEN、本当に気持ち良いのです!そんな奥多摩の景観と『BLUE+GREEN JOURNAL』でも活躍しているドローンの相性が良いということで、ドローン撮影で上空からの景色を見せていただきました。

白丸湖にて、ドローン飛んでおります。あっという間に見えなくなるまで上って行ってしまいました。



ドローンから見るとこう。



さらにもっと上へ。白丸湖付近は7割どころか9割がた緑でした。



無事に帰還したドローン



上空から見ると本当に緑の深い奥多摩。都心から1~2時間で、こんなにも“雑踏”や“騒音”とほど遠い環境に身を置けることに改めて驚かされました。

●ミゲルオススメの奥多摩ごはん処TOP5

最後に、お二人に奥多摩のオススメごはん処TOP5を伺いました。

<第一位>お食事処 ちわき
いちばんオススメは山菜の天ぷらが美味しい「そば天盆」。見落とされがちだけれど、わざわざ行く価値あり。川沿いで風情のあるお店(曽田)

<第二位>丹三郎 (たんざぶろう)
古民家をそのまま利用している、そばの店。魂のこもったそばとそばがきが非常に美味しい(宇都宮)

<第三位>蕎麦太郎カフェ
町民はワンコイン(500円)で食べられる。ここもやっぱりそばがオススメ(曽田)
店もシンプルで木の温もりがあって良い(宇都宮)

<第四位>三河屋(土蔵食亭)
宿屋として古くからやっているところで、蔵を食堂にしている。茶そばがオススメ(宇都宮)

<第五位>手打蕎麦 ごろう
御岳の駅の近くだから青梅市なんだけど、上品でつゆがとても美味しい(曽田)
そばが完売で食べられないことがあるので早めに行くといい(宇都宮)

特に指定はしなかったのですが、TOP5全てそば!というそば好きなお二人とそば事情に恵まれた奥多摩でした。また奥多摩町にはそば処だけでなく、移住を支援する魅力的な制度もたくさんありますので、自然に囲まれて人生を歩んで行きたいという方はぜひ調べてみてください!


【BLUE+GREEN JOURNAL配布場所】

●奥多摩町内および青梅市内
自治会回覧板
JR青梅線各駅(青梅~奥多摩間)
西東京バス関連
奥多摩町役場
奥多摩ビジターセンター
きこりん
水と緑のふれあい館
都民の森
奥多摩観光案内所
山のふるさと村
ビアカフェバテレ
まちづくり委員会
株式会社森と市庭
はとのす荘
釜めしなかい
鳩の巣釜めし
蕎麦太郎カフェ
御岳登山鉄道
居酒屋 ハリーズ Harry’s
リバーベース Halau
やお九 甘味とごはん処
Yoshizo
GRAVITY
RAINBOWHOUSE奥多摩
家具屋 椿堂
荒澤屋
つちのこカフェ

●東京都内
アウトドアショップA&F
金柑画廊
飲食 fatty’s
眼鏡屋 スイス堂
飲食 na-cho
美容室AGU
美容室vicca
美容室Gigi
樹のはなクリニック
アーティストエージェンシーvisiontrack
GINZA SIX
東京観光情報センター
LIVING DESIGN CENTER 「OZONE」
ONLY FREE PAPER

●東京都外
小菅の湯
奈良文化財研究所
NPOホームズビー

 
text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 野村・松江(ONLY FREE PAPER)・ミゲル<ドローン撮影>


2017-07-30 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #5 「 月刊妄想星占い」



「信じちゃ、ダメ♡」
毎月表紙のかわいい女の子がつぶやくフリーペーパー『月刊妄想星占い』。その名の通り最初から最後まで妄想だけで作られた、12星座の星占いのみのフリーペーパーです。まさに、「誰が何のためにこれを作っているんだろう…」という見本のようなフリーペーパーの作者“さとみちゃん”にお話を伺いました!

『月刊妄想星占い』

12星座の運勢を作者の妄想のみで占った(?)星占いのフリーペーパー。なぜか毎月決まって双子座はどん底、獅子座は最好調の運勢。
http://www.geocities.jp/mousouhoshi


野村:今日はよろしくお願いします。“さとみちゃん”とお呼びしてよろしいですか?いきなりですが、そちらのお顔は…。

さとみちゃん:これは、妄想です。とにかく石原さとみが好きで好きで、石原さとみになりたいんです。さとみちゃんと呼んでいただけるなんて光栄です。

野村:とにかく妄想の人なんですね。ではさっそくフリーペーパーについてお聞きしたいのですが、毎月書かさずに発行している妄想星占い、こちらを創刊したきっかけはなんだったのでしょうか?

さとみちゃん:この『妄想星占い』を作る前に『UmaGirl』というフリーペーパーを作っていたんですけど、 最初にそこで適当な星占いをやっていたんです。その時の適当な占いが割と評判が良かったというか、「面白かったよ」と言ってくれる人が多くて、『UmaGirl』をやめたあとに、じゃあそれだけのフリーペーパーにしちゃおうかなと…。

野村:占いはもともとお好きだったのですか?

さとみちゃん:はい。ファッション誌の後ろのほうに載っている占いとか、ああいうのを読むのがすごい好きだったんですよね。あと、朝の情報番組でやっている占いとか。あれは毎朝絶対見ないと不安で学校に行けなくて…。もう小学校のときから。たとえ自分の星座が運勢悪くてもだいたいアドバイス的なのがもらえるので、それに気をつけて今日一日過ごそう、みたいな。親に「早く学校行きなさい」って言われても占い見てからじゃないと登校できなかったんです。


野村:その長年の習慣がこちらの『妄想星占い』に繋がってくるんですね。妄想星占いというのはどうやって占っているんですか?そもそも、占っているんですか?

さとみちゃん:あ、適当…。完全に適当です。妄想です。

野村:毎月きっちり12星座分を占う(?)となると、妄想もなかなか大変ではないですか?

さとみちゃん:そうですね…。毎月最後の星座くらいでは飽きてきちゃってて…。

野村:え?

さとみちゃん:もう考えるのが面倒くさくなってきちゃうんです。

野村:面倒くさく…。毎月牡羊座から順番に書いているんですか?

さとみちゃん:そうです。だから魚座くらいではもう疲れちゃって…。疲れて飽きちゃう…。

野村:書く順番を変えたりしたことはありますか?

さとみちゃん:いつも何も考えずに牡羊座から書いちゃってました。そうですね、次は魚座から書いてみようかな…。


野村:毎月双子座は決まって運勢がひどいことになっていますが、これはもう妄想星占いのルール的なものなのですか?

さとみちゃん:毎月そうすると決めていたわけではないんですけど、でもなんとなくいつも良くない運勢にしちゃうんですよ…。あの、元カレが双子座だったので、それで最初は双子座をいちばん悪い運勢にしてたんですけど、それが何となく定着してきちゃったというか…。なぜか…。

野村:対して獅子座は毎月運勢絶好調ですけど、こちらは…?

さとみちゃん:私が獅子座なんです。獅子座は毎月最高の運勢にするというのは決めています。


野村:気持ち良いくらいのえこひいき感ですが、双子座の読者で怒ったりする人とかはいないんですか?

さとみちゃん:今のところは…はい、大丈夫です。割と双子座の人のほうが反応を下さるんですけど、「逆におもしろい」みたいに言ってくれる人が多くて、「ああよかった、傷ついてなくて…」と思っています。

野村:ちなみに、その元カレの反応はどうなんですか?

さとみちゃん:いや、読んでません。絶対教えられないです。元カレには、というか誰にも教えていないんです、周りの人には。今の彼にも絶対教えたくないです。教えたら書き辛くなっちゃうかなと…。というの と、たぶん単純に、教えたら引かれるんじゃないかなっていう思いがあって…。だから彼とかにも言えないんですよね。


野村:そうなんですね。周りには内緒にしてでも続けていくというくらい、フリーペーパーには魅力があるんでしょうか?

さとみちゃん:はい、フリーペーパーは好きですね。

野村:『月刊妄想星占い』は自費で作っているんですよね。誰に頼まれたわけでもなく、彼氏や友だちにも内緒で自分のお金をかけてでも作ってしまう、というのは、フリーペーパーが自分にとって必要な表現手段だったり、本来の自分を解放できる場、ということなのでしょうか?

さとみちゃん:制作については完全に自費なんですけど、でもそんなかっこいい感じのことではなくて、やっぱり何となく、 言ったら引かれるようなもの、という風に自分で思ってしまっているんですよね。でも…、はい、フリーペーパーは好きです。


野村:初めてフリーペーパーを作ったのはいつ頃ですか?

さとみちゃん:高校の頃に『下北ロック』という音楽系のフリーペーパーのスタッフとして関わったのがいちばん最初で、そこではちょっと関わっただけですけど、ゆるいイラストとか描いてました。で、そのあと は学生のころに『UmaGirl』を作って、それでこの『妄想星占い』です。

野村:『UmaGirl』が自分で作り始めた最初のフリーペーパーなんですね。

さとみちゃん:そうですね。馬がすごいかっこいいなと思っていて、でもそこまで馬術の知識もなく作り始めたので、本気で馬術が好きな人とかに怒られたりしましたね…。メールとかTwitterとかで…。馬は…もういいです。 あとは最近、『Himagine』というフリーペーパーで連載をしています。これは、「自由になんでも書いていいよ」って言ってくださったので、第一回目(Himagine vol.15)は斉藤和義で二回目(Himagine vol.16)は石原さとみについて書きました。どっちもすごい好きなんです。

Vol.15は「斉藤和義とカラオケに行ったときにリクエストするべき5曲」。Vol.16は「石原さとみになるということ」。こちらでも1ページまるまる妄想しています。



野村:では最後に、さとみちゃんの好きなフリーペーパーを教えてください。

さとみちゃん:『ナイスガイ』好きです。あと『食パンダッシュ!やまだちゃん』。私もパン好きなんで。あと、なんだろう…。意外と思い浮かばないです。

野村:ありがとうございます。『月刊妄想星占い』はまだまだ続きそうですか?

さとみちゃん:はい。これは、まだまだいけそうです。がんばります。



一見投げやりにも思えるほどの迷いのなさで(しかも妄想のみで)フリーペーパーを作り続ける“さとみちゃん”。こんなに適当に作っているんだ…というのが分かってしまってもなお、毎月自分の星座をチェックしてしまうことでしょう。来月の占いも楽しみにしております!


text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 野村・松江(ONLY FREE PAPER)


2017-06-07 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

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