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インタビュー #4  「 BEYOND」(前編)



河原に佇みカメラに対峙する4人の男女。彼らの手にはプラカードとメガホン。
あれ?なんだろう、どこの国だろう、と思わず目を留め手に取ったのが『BEYOND』の創刊号。その写真からは、国籍も性別も4人の関係性も、さらには屋外なのに季節感も判別しにくい、つかみ所のないような、それでいて目が離せないような、何とも印象的な表紙。
このフリーマガジン『BEYOND』編集長であり、特定非営利活動法人東京レインボープライド共同代表理事でもある山縣真矢(やまがたしんや)さんにお話をお聞きしました。

『BEYOND』

「らしく、たのしく、ほこらしく」をモットーに、性的指向および性自認(SOGI=Sexual Orientation, Gender Identity)のいかんにかかわらず、すべての人が、より自分らしく誇りをもって、前向きに楽しく生きていくことができる社会の実現を目指し活動する特定非営利活動法人東京レインボープライドの機関誌として、2016年4月に創刊。
春と秋、年2回のペースで発行され、現在の最新号は先日発行された第3号。
http://tokyorainbowpride.com





野村:BEYONDはNPO法人の機関誌ということなのですが、まずは団体の成り立ちや活動についてお話を伺えますか?

山縣:はい。東京レインボープライドという団体は2011年の5月に設立されまして、現在僕と杉山文野が共同代表理事を務めています。

野村:毎年春に代々木公園周辺で開催されているレインボーパレードを主催しているということですが、そもそものパレードのいちばんの趣旨というのは、セクシュアルマイノリティの認知を広める、という理解で合っていますか?

山縣:まあそうですね。LGBTとかセクシュアルマイノリティの可視化とか、差別や偏見に対して訴えていくとか…。というものがコアにあって、それにフェスティバルというか、祝祭的なものが加わっていく。国によっていろんなやり方があったりとか、打ち出し方は違いますけど、広く一般的に、プライドパレードというのはそういうものですね。
そもそもの発端というのはアメリカのNYで、1969年6月28日にグリニッジビレッジにあるストーンウォールインというゲイバーで起こった事件(※1)の1周年のデモ行進が、現在世界各地で行われているプライドパレードのスタートといわれています。そこから違う都市にも展開していって、日本での最初のパレードは1994年に開催されています。

野村:日本でパレードが始まるきっかけというのは何かあったのですか?一時期LGBTブームというのがあった、というのは以前何かで読んだのですが…。

山縣:ええと、当時はLGBTと言わなかったんですけど、’91年、’92年あたりにゲイブームっていうのがあったんですね。雑誌で取り上げられたりテレビで取り上げられたりとか。伏見憲明さん(※2)が「プライベート・ゲイ・ライフ」(1991年刊行)というのを出したり、映画の「プリシラ」(1995年日本公開)や「二十歳の微熱」(1993年公開)もその頃で…。そんなゲイブームの前には、「府中青年の家事件」(1990年2月)(※3)という事件も起こりました。同性愛者の団体が東京都を相手取って裁判になるんですけど、そういうのもあったりして、90年代の前半頃にちょっとしたブームがあったんです。

野村:それは主にそのライフスタイルとか、ゲイのコミュニティで起こっていることに注目が集まってたということだけでなく、根本的な人権の問題ということに着目する人も増えてきたという時期だった?

山縣:まあ…裁判もあったし、そういうのを取り上げた本だとか、ドキュメンタリー番組というのも当時はやられたりもしていたけれど。とにかくアンダーグラウンドでなくメジャーなメディアが取り上げ始めたということで注目され始めた時期で、’94年にパレードをやろうという流れもできたと思うんですよね。いちおうこれはアジアで2番目の開催と言われています。
僕は2000年のパレードに、当時は「レズビアン&ゲイパレード」と言っていたんですけど、そこでフロート出展者をサポートするかたちで初めて参加しています。で、2002年から実行委員というかたちで運営に携わるようになりました。もう15年ですか…。

野村:15年…!毎年パレードを開催しているのですか?

山縣:それがなかなか、毎年とはいかなかったんですよ。東京のパレードというのは、’94年から始まり、主催団体やパレードの名前も変わったりしながら、開催が続いたり、何年か開催がなかったり、パレードのないフェスティバルという形での開催になったり、という感じできて…。で、2011年5月に東京レインボープライドという団体を設立し、翌年の2012年4月に第一回目の「東京レインボープライド」を実施して、そこからはもう毎年やっています。



野村:2015年にNPO法人化して、いよいよ翌年に機関誌である『BEYOND』の創刊ですね。こちらを創刊した経緯についてお聞かせください。

山縣:もともと2012年の第一回目の東京レインボープライドの時から、「TRPオフィシャルガイド」というタブロイド判の媒体で、具体的にプライドウィークとかフェスタやパレードなどのいわゆるガイドとして毎年作っているものがありました。広告を入れて作っているのですが、だんだん大企業なども入るようになって誌面の棲み分けが必要になってきたというのもあって、法人化を機に棲み分けをしたこちらのBEYONDは、もう少しかっちりしたもので、団体の機関誌として作ろうということになりました。創刊号を2016年の4月に刊行しているんですけど、2015年の年末くらいから相談し始め…、それこそ雑誌のタイトルからですね。昨年の東京レインボープライド2016のテーマが“Beyond the rainbow”というテーマだったんですけど、その“Beyond”というのを機関誌のタイトルにしましょうということになった。



野村:性に限らずマイノリティのコミュニティというのは、情報を探すとしたらやはりまずはインターネットだったり、広めるほうとしてもインターネットのほうが“広く早く”ということで力は大きいかなと思うのですが、あえて機関誌という紙でつくる、紙で渡す、ということにこだわりはありますか?

山縣:もちろん、こだわりはありますね。編集もそうだしデザイナーにしてもアートディレクターにしても、その辺に対するデザインの力とか紙の力とか、webとは違うもの、というのはやっぱり意識しているし、こだわりは持って作っています。
あとはやっぱり、タブロイドのガイドのほうは、イベントが終わったらその役目を果たすんですけれど、BEYONDは機関誌で息の長いペーパーだと思っていて、特集だったら現時点でのその状況とか、そのときのトピックの人だったりとか、そういうものを入れているので、次の号が出たとしても、バックナンバーとして欲しい人はいるだろうと。webだとやはりどんどん回転していって消費されていく、みたいなところがありますけど、紙はこうやって手に持ってめくったり、ときどき引っ張り出してみたりとか、やっぱりそういうものだと思うので、何か引っかかりを持って読んでくれた人や手に取ってくれた人に、ずっと手元に置いておいてもらえるようなものであればいいな、と思います。

野村:そうですよね。BEYONDは紙で存在感があって、思わず目を留めて手に取ったり人に渡したりしたくなる、というのはすごくあると思います。

山縣:人から人へ渡っていくという意味では作り手の思いが伝わる部分も大きいと思うし…。実際、紙は大変ですけどね(笑)



野村:毎号巻頭に登場するスーパーシャイニーの候補はいろんな方がいると思いますが、取材対象や扱うテーマはどのように決めていますか?

山縣:取材対象は、何となくその号のテーマや特集の内容で決めていますかね…。僕の繋がりだったり、毎回スタッフに提案してもらったりもしていますし、結果的になんとなくまとまることもありますね。例えば、この新しい号だと、「LGBTと行政」という特集を組んでいるんですけど。2015年に渋谷区などで同性パートナー制度ができて、11月から世田谷区と渋谷区で同時に登録が始まってちょうど一年ちょっと経ったところで、それ以降にもいくつかの自治体がそれに続いていたり、この6月から札幌も制度を導入するんですけど、今のLGBTブームみたいなもののきっかけとして、同性パートナー制度はやはり大きいんですよね。ただ、同性パートナー制度って、要は“パートナー”の話なので、みんながみんなパートナーを持ってるわけではないし…。

野村:確かに、それはそうですね。

山縣:そうなんです。セクシャリティも様々ですし、実際、パートナー制度のことだけでなくて、自治体レベルでももっと条例とか計画とか、いろんなもので性的指向とか性自認などに関することってやられていたりするんですね。そういうものも知ってフォローしましょうということで、まず、自治体の同性パートナーシップ制度について解説した後、それ以外の自治体の動きや制度などを紹介しています。で、そのうえで、地方自治体だけでなく、もっと大きい国レベルでの法整備みたいなものがやはり必要だよねということで、国レベルの法整備の現状を、G7諸国との比較などもしながら、解説しています。作り終えてから何となくまあ一冊で通底するものはあるな、と思ったりもしています。



野村:この国別での比較は状況がすごく分かりやすいです。

山縣:この表を見るともう一目瞭然なんですけど、人権にしても同性カップルのことにしてもG7の中で日本だけ突出して法整備が遅れているんですよね。まあ、ここにロシアが入ってくるとロシアはもっとひどかったりするんですけど…。

野村:日本が遅れてるというのは、なぜだと思いますか?特に欧米とかと比べると。

山縣:人権については、まず根本的に考え方が違うなと思うんですよね。LGBTのことだけでなく、日本は人権とか差別に関する包括的な法律が無いんです。部落差別や障がい者差別など、個別のものに対する法律はいくつかあるんですけど。一方、例えば、イギリスでは、「2010年平等法」で、あらゆる分野における性的指向や性自認を理由とした差別の禁止が規定されています。あと、この表の「国内人権機関」というところを見ると、日本には「国内人権機関そのものがない」と書いてありますけど、他のG7諸国には国内人権機関がまずある。人権を擁護するために勧告などを行う機関があるというのが前提で、その国内人権機関の管轄に性的指向があるかないか、というレベルの話をしているわけですけど、日本はそもそもそういう機関そのものがない、みたいなところで…。もう二段階くらい差別ということに関しては遅れていると思います。というのと、同性パートナーに関して言うと、いわゆる「伝統的家族観」とか儒教的な家族観とか、あとは戸籍制度ですね。「家」を中心とした戸籍制度があるというのは同性パートナー制度とか同性婚を実現させていくにはすごく大きな障害になるんだろうな、というのがやっぱり他の国とは違うところだと思います。夫婦別姓もできない国ですから。その一方で、日本は宗教的な縛りは少ない…というところもまたあるとは思うんですけど。

野村:確かに、宗教で縛られるというのは日本ではあまり感じないですね。

山縣:例えばBEYONDの第一号でも記事にしていますが、韓国は保守的なキリスト教の団体とかがすごく反対勢力としてあって、露骨な嫌がらせや妨害とか、結構すごいのがあるんです。パレードやっててもガンガンそういうヘイトが飛んで来るような。

野村:日本では宗教的なものはあまりないとして、例えば政治的なところからの圧力とか嫌がらせとかはあったりするんですか?

山縣:そんなに露骨には…、でもまあ、だんだん増えてきているとは思います。LGBTの権利とか婚姻の平等といった課題が表面化するようになって、それを快く思わない人たちの声も出てくるようになったということだと思います。

野村:知る人が増えた、ということでもありますよね。

山縣:うん〜そうそう。割とどこの国でも同性婚制度とかできるときって、例えば議会を通る時でも結構僅差で通ってたりするんですよね。どこの国もやっぱりすごく国を二分するというか…。フランスなんかは同性婚制度ができるとき、賛成する側で何十万人というデモがあったら、反対する側も何十万人というデモがあったりとか、最新号で取り上げた台湾でも、同性婚の法制化に賛成する集会には25万人もの人が集まっているんですよ。で、一方でそこまでは多くなかったけど、同性婚に反対する人たちの集会も10万人くらい集まっていたりするんです。一般的には賛成する人が多いし、だからこそ制度が成り立っていると思うんですけど。

野村:日本もそういうのを越えていかないと…、というのはあるんですね。そういう意味では、例えば、LGBTへのヘイトの声が聞こえてきているということは、日本も今、動き始めている、ということなんですかね。

山縣:そうだと思いますが、もっと大きな視野で見てみると、もちろんLGBTイシューも重要で、僕らは当事者としてLGBTに関する課題をどうにかしたいと思って活動していて、パレードもそのためにやっているわけですけど、共謀罪にしろ、教育勅語の問題にしろ、そういう状況が今の日本にはあるわけじゃないですか、実際に。そうなってくると、LGBTの以前の問題として、日本の社会がどんどん息苦しくなってきているような気もしています。



日本におけるレインボーパレードの始まりから紙媒体BEYONDの誕生まで、状況は変化はしているけれど、まだまだマイノリティが生き辛いという社会を作っているのは私たち一人一人なのだと思わされます。そして誰もが前を向いて生活できるような社会にしていくのもまた、私たち一人一人なのだなあ。とても興味深く考えさせられます。集中力MAXのまま後編へ…!開催間近の東京レインボープライドについてもお聞きしています。



注:
(※1 1969年6月28日、ニューヨークの「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」というゲイバーが警察による踏み込み捜査を受け、居合わせたがゲイやレズビアンなどLGBTの人たちが初めて警官に立ち向かって暴動となった事件)
(※2 執筆や講演などで90年代のゲイ・ムーブメントに影響を与えた評論家、小説家)
(※3 同性愛者の団体に対し、東京都が「青少年の健全育成によくない」という理由で宿泊施設「府中青年の家」の利用を拒否した事に対して、1991年2月に団体が東京都を提訴、1997年9月の二審で原告団体の全面勝訴で結審。)



text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 野村・松江(ONLY FREE PAPER)


2017-04-27 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #3 「 食パンダッシュ!!やまだちゃん」

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食パンをくわえたセーラー服姿のやまだちゃんがパンの紹介をするフリーペーパー「食パンダッシュ!!やまだちゃん」。
月に一度というハイペースで発行を続け、4年の間に着々とやまだちゃんファンを増やしていましたが、2016年8月に発行された最新号を最後にフリーペーパーからWEBへ移行。フリーペーパーとはもうサヨナラなんでしょうか?さっそく、やまだちゃんご本人にお話を聞いてきました!

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野村:さっそくですが、やまだちゃんから自己紹介をお願いします。

やまだちゃん:食パン少女やまだちゃん!16歳☆ 小麦坂学園の高校1年生!
パンが大好きでパンに関する情報をいろいろ発信中だよ〜
好きな食パンは、フジパン本仕込!醤油バターで食べるのがマイブームだよっ!

野村:やまだちゃんはいつからパンの紹介をしてるんですか?

やまだちゃん:やまだちゃんの家族がみんなパン好きで、よくパンについて話したりしてたから、他のみんなにも紹介したいなと思って始めたよ〜!もうだいぶ前な気がするかも?4年ぐらいかな〜?

野村:月一でフリーペーパーを発行していくというのは、学校の授業もありますし、なかなか大変だったと思いますが、両立できていましたか?得意な科目や不得意な科目はありますか?

やまだちゃん:パンのことだから大丈夫!!
フリーペーパーとツイッターのおかげでパン友がたくさんできたから楽しいよ〜!
得意な教科は家庭科と音楽!
不得意なのは数学…お昼過ぎは特に眠くなっちゃう〜;;

野村:パン友…。やまだちゃんはどんな生活をしてるのですか?やまだちゃんの一日を教えてください。

やまだちゃん:朝は食パンダッシュでギリギリ学校に到着!3時間目でお腹が鳴って、お昼休みはうきうきパンタイム!惣菜パンの写真を撮って食べた感想をメモ☆
授業が終わったらよくスーパーに寄り道してパンコーナーのチェックをするよ!
スーパーごとに置いているパンや取り扱ってるメーカーが違うから要チェックなの〜

野村:意外にマメで地道なパン活ですね。やまだちゃん、彼とデートとかはないのですか?

やまだちゃん:彼氏はいないよ〜 曲がり角でぶつかるのが憧れなんだけどまだぶつかってないんだ〜;;

野村:食パンダッシュの醍醐味ですね。こちらも地道にがんばってください。ちなみにやまだちゃんは、この4年間ずっと高校1年生なのですか?

やまだちゃん:うん!ちびまる子ちゃんと一緒!ずっと16歳!

野村:永遠の16歳…。いいですね。新しいパンを買うお金や毎月のフリーペーパーの印刷代とかはどうやってまかなっていたのですか?バイトとか…お小遣いとか…?

やまだちゃん:パンはお小遣いから〜!
印刷は印刷会社さんに協力してもらったり、広告を出してもらったりいろいろだよ!^^

野村:フリーペーパーではやまだちゃんは制服が多いですよね。あまり私服のやまだちゃんを見られなかったのですが、もしかしてお小遣いをみんなパンに使っちゃうからですか?

やまだちゃん:そういえば私服はあんまり見せてないかも!よくお友達とショッピングモールに服を買いに行くよ〜!

02

野村:実はこの4年間でかなりやまだちゃんの見た目が変わった時期があって、パンの紹介の仕方も少し変わったかな、と感じていたのですが、やまだちゃんの生活になにかターニングポイントがあった時期だったのでしょうか?

やまだちゃん:製作するスタッフがチェンジしたよ〜
それに合わせてやまだちゃんもちょっとイメチェンしてみたの〜!
野村:イメチェン…。なるほど…。

03

野村:フリーペーパーは昨年の8月に発行した最新号で最後と聞いたのですが…

やまだちゃん:うん!フリーペーパーは一旦お休みするよ〜!

野村:今はWEBメインということですね。やまだちゃん、どんなお気持ちですか?

やまだちゃん:フリーペーパーはほとんど京都の人にしか読んでもらえなかったけど、Webではもっとたくさんの人に読んでもらえるかなと思ってるよ〜!ツイッターには北海道から沖縄までフォロワーさんがいるんだけど「フリペをゲットできないよ〜!」って声が多かったんだ。みんなが見れるようになるのは嬉しい〜!

野村:フリーペーパーが終わってしまった寂しさというのもありますか?

やまだちゃん:フリーペーパーの時は、みんなから「クリアファイルに毎月ストックしてるよ!」とか「冷蔵庫に貼ってレシピを見てるよ」とか、大事に残してもらってて、それが無くなっちゃうのはちょっと寂しいかも…
でもWEBだと、みんなに知ってほしいパン情報をいっぱい載せられるから、今までよりもっとみんなとツイッターでコミュニケーションできるようになるはずだよ〜^^

野村:WEBがメインになったことで新しく挑戦できそうなことはありますか?

やまだちゃん:今までのフリーペーパーでは、パンの新商品が出ても印刷とかいろいろあってすぐに紹介できなかったけど、WEBならもっと早くパン情報を伝えられるから、新しい情報をどんどん載せたいな〜!写真とか動画とか、まだまだ分からないけど、いろんな方法を使ってパンを布教したい!^^

野村:フリーペーパー店としては、やまだちゃんがフリーペーパーでなくなってしまったのはやはり寂しいのですが、今後はもうフリーペーパーを作る可能性はなさそうですか?

やまだちゃん:みんなの声が多かったらまた作っちゃうかも〜!

野村:可能性はあるのですね。ちなみに、やまだちゃんが好きなフリーペーパーってありますか?
やまだちゃん:「めいが通信」と「フリースタイルな僧侶たち」!「めいが通信」は絵がかわいくて好き!映画の紹介も分かりやすくて紹介してある映画が気になっちゃう〜
あと「フリースタイルな僧侶たち」は、普段じゃなかなか知れないようなお坊さんの意外な話が書いてあって面白くて好きだよ〜!

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野村:では最後に、やまだちゃんおススメのパンを教えていただきたいのですが、やまだちゃんがこれまで食べてきた中でいちばんお気に入りのパンは何パンですか?

やまだちゃん:お気に入りはやっぱり毎日食べる食パンかな!チーマヨトースト(チーズ&マヨネーズ)は、一生飽きないと思うよ〜^^食パンにスライスチーズ(とろけるチーズでもどっちでもOK)をのせて、マヨネーズをかけてトーストするだけだよ〜!ピザ用チーズを使うともっともっと美味しい!

野村:一生…。もう愛ですね。パン愛。

やまだちゃん:忙しい時でもすぐできる簡単レシピだけど、上アゴのやけどには注意〜!

野村:気をつけますね。では、これから食べてみたいパンはありますか?

やまだちゃん:あるよ〜!いろんな場所にフォロワーさんがいるからご当地パンの話もよく教えてもらってるんだ〜^^

野村:そうなんですね。では、食べてみたいご当地パンベスト3を教えてください。

やまだちゃん:1位は「ぼうしパン(高知県)」!麦わらぼうしみたいな形のパン!フチの部分が絶対に美味しい!
2位はインターネットで見た謎のパン「学生調理(秋田県)」!学生向けってことなのかとにかく謎で気になる〜
3位はお花みたいな形の「ばらパン(島根県)」可愛いくて美味しそうだから食べてみたいし、写真も撮りたい!

野村:いろいろあるんですね〜。これからやまだちゃんのご当地パン巡りなんていうのもできそうですね?

やまだちゃん:それすっごくやりたい!やまだちゃんの夢だよ〜

野村:楽しみにしてますね。今日はお忙しい中ありがとうございました。


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紙媒体から飛び出した食パン少女やまだちゃん、webの世界でさらに縦横無尽に大好きなパン活の道を邁進し、パン友を増やしていくことでしょう。フリーペーパーにもまたいつか帰ってきてくれると信じてます!やまだちゃんありがとう!



text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo・やまだちゃん(自撮り)





2017-02-09 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #2 「DEZZERT MAGAZINE」(後編)

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お待たせしました!スノーボードフリーマガジン「DEZZERT magazine」編集人・酒井隆光さん(下部写真右)、フォトグラファー・小野塚章さん(同左)へのインタビュー後編。
10年フリーの紙媒体を続けていることへの思いやフリーならではの悩みや葛藤など…さらに「DEZZERT magazine」深部に迫ります!


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●DEZZERT magazine裏のコンセプト

野村:毎号、ペインターやフォトグラファーなどのアーティストの作品が数ページ登場していますね。

酒井:僕が最初に章くんの写真を見て感じた、「ああ。このスノーボードの写真すごいかっこいいな!」っていう感覚を、みんなにも感じてほしくて。スノーボードを専門に撮ってるフォトグラファーがいるのかどうかすら世の中の人はあまり知らないと思うんですよ。ライダーやフォトグラファーたちが、夜中に国道で撮影したりとか、深い山に入って命懸けで撮影していることとか。そういう人たちの『価値』を感じてほしいなと思って。それはフォトグラファーもそうだし、グラフィックアーティストもそう。海外に比べると、日本人は積極的に写真も買わないし絵も買わないじゃないですか。なんかそういう、フォトグラファーやアーティストの価値を感じられるようなものにしたいなっていうのは、僕の中で裏のコンセプトとしてあるんです。なので、1号目から毎回、同年代のアーティストに声をかけさせてもらって…スケートボードやサーフィンが好きだったり、もちろんスノーボードをする人も多いので、僕らのフリーペーパーに共感してもらえるアーティストたちに7ページ分登場してもらってます。

●広告主の話

野村:広告主について聞かせてください。

酒井:出稿してくれるブランドと僕らの関係性は、普通に出版されている雑誌媒体とは少し違っていて、僕らがフリーマガジンで作って世の中の人にスノーボードをどのように感じてもらいたいか、またはそのブランドがスノーボードのカルチャーに対してどういうはたらきかけをしていきたいのか、その方向性が一致するブランドじゃないと広告が入ったときに絶対に違和感があると思うんです。なので、僕らは単純な広告セールスするようなスタンスではなくて、あくまで僕らの考え方に共感してくれるブランドにサポートしてもらっています。たぶん、このマガジンに広告を掲載してそのブランドの商品が売れるかっていうとそうでもないと思うんです。商品が何も載ってない広告だったりもしますし。その、売上的な費用対効果というところじゃなくて、純粋なスノーボーディングだけを表現してるマガジンであることとか、僕ら作り手の考えとかパッションを認めてくれて、それで出稿いただいてるようなものなので、そういう意味ではすごく感謝をしてます。

野村:カルチャーを一緒に育てていくという意識が共有されているんですね。


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●10年間での変化

野村:10年やってきて、作りたいものの軸はいちばん最初の頃からブレていないということでしたが、それ以外で何か変わったなということはありますか?

酒井:ちょっと章くんが太ったくらいですかね。

小野塚:あ、やっぱり?ちょっと…18キロくらい太ったんですよね。

野村:18キロ!(笑)

酒井:まああとは…みんな結婚したね。ファミリーができたっていうところですかね。

小野塚:やっぱそれより、僕が18キロ太ったってほうがでかい。

酒井:うん、それは衝撃だよね。(笑)

野村:でも、ファミリーができて、それまでの冒険心というか、危険なことができなくなるというのはありましたか?

小野塚:それは全く変わんないですね。感じたことないです。これから行く雪山とかゲリラ撮影の話とか、家で表紙の撮影とかもやってて常日頃から自分のやってることを見せてるので。
あとは、強いて言うなら機材ですかね。いろいろ試したいんです。スノーボードの撮影は常にライブで、場所によってはもう一回というのが出来ないんです。今度こういうロケーションで撮りたいからそのためにこっちの機材用意しとこうかなとか。で、仕事の撮影で休憩時間があると、先方さんに「ちょっとライダー借りていいっすか?」とか。ライダーは仲間なんで、「ちょこっとそこでやって」って、でバシャッと撮ったり。

野村:じゃ特にデザートマガジン用の撮影でなくても、もう常に一年中それが頭にあるという…。

小野塚:そうですね。雪山に立つと「これデザートで使えるかな」とか。例えば板のブランドの撮影だとまあだいたい喜ばれるのは板がちゃんと写るカットなんです。でもライダーは、それが自分の思い描くスタイルじゃなかったらもう一回やりたがるんですよ。そのときに「よしゃ」って思って、今度はデザート用のアングルを考えたりする。常に仕事の時は仕事のものがちゃんと終わってればデザートのことでアングルを考えてます。夏は都内の仕事が多いけど、冬はもうずっとそんなかんじです。

酒井:10年経って変わったのは、章くんが忙しくなったっていうことかも。カメラマンとして飯食っていけてないときだったけど、今は色んな仕事もらってちゃんと食えているっていうのがいちばん変わったことですかね。

小野塚:いつなくなるか分かんないですけど(笑)

酒井:基本的に章くんが撮ったスノーボードの写真でやってきているので、章くんがスノーボードの写真撮れなくなったら、まあこれも終わるってことなんですよね。

小野塚:糖尿病で歩けなくなるとか…。最近コーラ飲んだときとか足が痺れたりするんですよね。

野村:危ないじゃないですか(笑)

小野塚:痛い…

野村:それ痛風じゃ…。

酒井:マジで!?ヤバいよそれ(笑)

野村:酒井さん的には10年間で変化はありましたか?

酒井:そうですね…。あまり変わってないけど、10年前よりスノーボードがうまくなったかな。

小野塚:そうだね。

酒井:あとは、毎年どんどんスノーボードが好きになってますね。年々少しずつですが、山の奥に入っていく感じです。

小野塚:山好きになったね。

酒井:写真も、10年前好きだった写真と今好きな写真と、ちょっとずつ変わっては来てるんですけど、でも山奥の写真と、街のストリートレールの写真と、どっちもやっぱり、スノーボードなんですよね。だから、僕はどっちが好きとかは全然ないんですけど、自分自身、年々スノーボードのことが更に好きになっていってるという実感はありますね。


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●これからのデザートマガジン

野村:今後も続く限りはこのスタンスで?

酒井:そうですね。章くんが撮っていれば。スポンサーがなくなっても僕は作ろうと思っています。数はかなり少なくなると思いますが…。

野村:おお〜!これ…けっこうお金かかりますよね。

酒井:まあ…相当かかります(笑)たぶん、もし普通にこれを販売するとしたら、一冊2000円くらいはするかと。

野村:それでも全然買う人はいると思うんですけど、でもそこはフリーっていうのがやっぱりデザートのスタイルなんですよね?

酒井:そうですね。でも、これだけ章くんも稼働してるしどうにか利益を生む方法はないかと、この何年かずっと章くんとも模索してるんですけど。なかなかその答えが見つからないというか…。すごい大きなスポンサーがつくというのはひとつ可能性としてあると思うんですけど、でも、僕たちのこのスタンスでそのスポンサーを見つけていくのはすごく難しいことなので。利益を生むことについては悩みなんですけど、ただ、みんな個々で仕事をしてる中でこれを作っているので、生きていくことはできるんです。出来る範囲内でやってるかんじですね。あんまり背伸びすると、たぶん苦しくなるし。でももしお金もかけられるんだったら、もっとやりたいことはいっぱいあります。

野村:スノーボードっていう文化を、紙メディアだけじゃなくてたとえば動画メディアとかで展開して、デザートっていうメディアとしていろいろやるという可能性もありますか?

酒井:ちょうど、それをどうしていこうかちょっと悩んでるかんじですね。今色んなWEBやSNSがあるので、そこでやれることもあるんですけど、なかなかいま、僕ら自身がそこに注力できてないっていうか。あと、そもそものコンセプトが紙媒体でこうやって写真を見せるっていうのに対して、インターネットで僕らのデザートマガジンを表現するっていうのがちょっと矛盾しちゃってる部分もあると僕は感じてて。パソコン上のモニターで見る感覚じゃなくて、やっぱりこのめくる感覚、紙の質感とか肌感とか、こう…部屋に飾って見たりね。

小野塚:5年10年で紙が落ちてくるかんじとか、色が落ちてくるかんじとかね。

酒井:すごくコスト効率が悪いじゃないですか、印刷って。でもまあ…ここにあるフリーペーパーもみんなそうだと思うんですけど、作ってる人みんな「紙が好き」って言ってると思うんですよね。紙媒体の魅力というか。めくって戻る感覚、紙で見る面白さとか、そこは僕らも一緒です。で、たとえばマガジンには一切入ってない、撮影のバックボーンや裏話はたくさんあるので、そういう表現の場としてWEBを使うというのは全然僕はあると思うので、そういうところはやっていければいいかなというかんじはしてますけど、媒体としてはやっぱりこれがメインかなと。

野村:いやでも、これはこの大きさとか重さとか、絶対大事ですよね。ずっしりくる感じの。

酒井:ですね。このクオリティで、「これフリーって、こんなのありかよ!?」っていうところをやっぱり突き詰めたくて。年に一冊発行になってからページも増やしたんですけど、このボリュームでこの紙のクオリティでそれがフリーでもらえるっていうところは、やっぱり大事にしたいなと。これが『新しい価値基準』じゃないかと思ってます。

小野塚:これもって帰るのって、その気にならないと持って帰れないじゃない?

野村:そう!ほんとそうなんです!

酒井:この重さ。。。僕らのこの思いを持って帰る、『君にもそのパッションがないと持って帰れないよ。』っていう、そこも確認できますね、これ。

野村:かっこいいです。いいな〜、なんかもう、ほんとに安心したというか。すごく「フリーペーパー」の人たちだな〜と。

酒井:まあ…変態ですよね(笑)


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スノーボードが好きでそのカルチャーの本当の価値を伝えたいという思いが創刊から10年、絶えることなくお二人の中で燃え続けているのだなあと、お話を聞き終え最後に見せてくれた笑顔につくづくグッと来てしまいました。パッションとそれを外に伝える表現手段と、継続させていく力。フリーペーパー専門店スタッフとしてもとても共感でした。DEZZERT magazine次はいよいよ10周年号。楽しみで仕方ないです!



text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 野村・松江(ONLY FREE PAPER)


2016-10-18 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #2 「DEZZERT MAGAZINE」(前編)

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大判の表紙にどーんと甘そうな迫力あるデザートの写真。ページ数も相当、重みもしっかりある立派な雑誌。表紙をめくると心臓がドキドキするほど迫力あるスノーボードの写真やグラフィックが次々と登場します。最後まで見終わってみても文章らしい文章はなく、なぜこれがフリーなのか、誰が何のために、どうやってこんなにクオリティの高いフリーマガジンを作っているのか、とても気になるのです。そんなナゾのフリーマガジンの編集人・酒井隆光さん(タイトル画像:右)と、マガジン全般のかっこいいスノーボードの写真を撮っているフォトグラファー・小野塚章さん(タイトル画像:左)のお二人にお会いすることができました!

『DEZZERT magazine』

スノーボードのスタイルやかっこよさ、楽しさを写真とクラフトアートで表現し、カルチャーやアートの価値を発信し続けるフリーマガジン。現在は年1回の発行で、14号まで発行中。来年は創刊10周年にあたる。
ライディングの臨場感溢れるスノーボードのグラビアと表紙のデザートの写真が特徴。


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●DEZZERT magazine誕生の話

野村:まずはDEZZERT magazine誕生の経緯を聞かせてください。

酒井:最初のきっかけはですね…。もう12~3年くらい前、当時僕はアクションスポーツやファッションに特化した広告代理店で働いていて、そこでスノーボードメーカーの雑誌の広告やカタログなどを作ったりしていました。ある仕事でスノーボードのスチールカメラマンを探していたときに、たまたま章くんを紹介してもらったのが最初の出会いです。そこで初めて章くんの撮ったスノーボードの写真を見たら、めちゃくちゃかっこいい写真だったんです。それを見たときに、まだほとんど世に知られていない、その写真たちを、もっと世の中の人に見てほしい、スノーボードが大好きな人たちに「純粋にかっこいいスノーボード」というのを見てほしいと思ったのが最初のきっかけです。
ただ、今みたいにSNSが発達する前だったし、仕事をしながらどういう方法でこれを世の中に出していけばいいのか自分でもなかなか分からなくて…。で、何か良い方法はないものかなと2~3年考えて、自分自身が雑誌などの紙媒体が好きだったというのもあり、フリーペーパーで出そうということになりました。

野村:そこで”フリー”という選択になったのはなぜですか?

酒井:そもそもは、広告代理店で働いていたし、自分のいる会社で販売ができる、スノーボードの価値が伝えられる雑誌を出したかったんです。その当時はスノーボードの媒体といえばファション性やハウツーなど商業性の高い雑誌が多く、スノーボードそのものを一枚の写真で本当にかっこよく見せているマガジンがなかったので、「うちの会社で作りませんか?」と社長を説得したんだけれど「そんな利益にならないことはしたくない」と…。でもどうしても作りたかったので会社を辞めて、その上で色んなしがらみのない純粋な媒体を作りたいということで、フリーペーパーしかないなということになりました。で、会社を辞めて、まずは自費出版で第一号を作りました。

野村:会社を辞めて…!第一号は自費出版だったんですね。

酒井:そうです。フリーペーパーって広告費がないと出版できないので。ただ、世の中にまだこういうマガジンがなかったので、イメージができないものをメーカーにセールスしても、メーカーとしてもなかなか広告費は出し辛いですよね。スノーボード業界自体がそんなに潤っている時代でもなかったし。なので、まずは自費出版で作って、それをメーカーやお店の人に見せて…というかんじでしたね。

野村:第一号はどれくらい作ったんですか?

酒井:300冊くらい作りました。これが原点になりました。スノーボードのダイナミックな写真とクラフトアート、若手のグラフィックアーティストやフォトグラファーを特集したページ…。これまでこういうものがなかったので、反応はよかったですね。完全に自分たちが好きなことを表現して、何のしがらみもなく作ったのがこの最初の1冊です。

野村:では小野塚さんの写真がメインでスノーボードのかっこよさを伝える、というのはもう最初からコンセプトとしてあって、今もブレていない軸なんですね。

酒井:そうですね。まったくそこはブレてないです。

野村:小野塚さんは第一号の立ち上げから一緒に?

小野塚:僕は当時26歳。。。二十歳からスノーボードの写真でお金を頂きはじめライダーを撮ってるんですけど、マニアックなライダーが多かったんです。通常のスポーツマガジンは売れっ子のライダーを使うのが普通なので、この写真かっこいいと思っても使われなかったりして…。お金にもならなければ雑誌にも出ない、社会的な評価もない、という時期が6年間。僕自身『これは。。。俺何やってんだ?』と悩んでた時に
『章くんの写真で本作ってみない?』と。自分ではいい写真だと思ってるけど評価が全くない時期で、ホントに自分はいい写真を撮ってるのか?とか、自分の立ち位置が分からなかったので、これを出してダメだったらもう辞めようと思ってた。でも出したくらいから徐々に評価が変わってきた。今思うと単純に技術がなかったのかもしれませんね。

野村:では二十歳くらいから毎年冬は雪山へ撮影に…というかんじなんですね。もともとご自身でもスノーボードをされていたんですか?

小野塚:僕は生まれが越後湯沢なんです。石内丸山スキー場から徒歩2秒くらいのところに親父が民宿を経営していて、生まれも育ちも雪国。実家が民宿なので、冬になると子どもは「お前らゲレンデ行ってこい」って追い出されちゃう(笑)ゲレンデは自分の中では近所の公園みたいな感覚です。

野村:編集部としては3人いらっしゃるんですよね。もうお1人はどういった役割の方なんですか?

酒井:もう1人はアートディレクターの吉田孝史ですね。彼がクラフトを作ったり、ぺージデザインとか、こういうアートを…。
吉田も僕と同じ時期に同じ会社にデザイナーとして勤めてて、章くんの写真でこういうものを作りたいっていう相談をしたときに、彼は彼で世に出ているスノーボードの媒体に対して何か疑問を感じていたので、まあ同じモチベーションだったということで、3人でやろうか、となったんですね。

野村:会社を立ち上げたんですか?

酒井:いや…やっぱりフリーペーパーで飯を食っていくというのはさすがに難しくて、基本的にみんなが個人でそれぞれに仕事をしながら、これはこれとして別軸でやっているというかんじです。今は年に一冊作っています。今の時代に広告費だけでこれを出版して、みんなにちゃんと給料払ってというのはなかなか…。現状は広告収入は全て印刷と発送費に充ててますね。
まあ、基本的にはプラスマイナスゼロのところでやってるかんじですかね…。

小野塚:いやいやいやそんなことないよ!毎年みんな3万、5万くらい赤あるよね…。

酒井:まあね、クラフトの画材買ったり写真展の準備費とかね。あとフルーツ買ったりね。

野村:フルーツ(笑)

酒井:そう、フルーツ買ったり、ケーキ買ったり(笑)

03
●デザートの話

野村:タイトルと表紙の「デザート」というのはいちばん最初からコンセプトが決まっていたんですか?

酒井:なんかね、こう…正体が分からないかんじがいいなと思っていて。表まわりと中身の違和感みたいなのとか。あと、甘いものの写真てなんか癒されるじゃないですか。で、開いてみたらちょっとソリッドなかんじのかっこいビジュアルがあるっていう、このギャップもいいし…。あとは言葉の響きとか。まあ、完全に僕の感覚ですね。

野村:なるほど。じゃそこは酒井さんの思いで…。

酒井:そうですね。勝手に決めました。

野村:そのあたりは小野塚さんと吉田さんはどうでしたか?

小野塚:うん、ぜんぜん。何かおもしろそうって。楽しんでました。
この去年の表紙(14号)の写真は、ネットでスポンジケーキ買って…。これ14冊目だから14段。

野村:え!お手製なんですか!?

小野塚:そう、近所のスーパーで生クリーム買ってきて、1人で家でこう泡立てて…積んで…。バタバタしながら撮る、みたいな…。

野村:えええ。撮影スタジオみたいなすごいところで撮ってるんだと思ってました。そしたら表紙は毎号そんな感じで手づくりなんですか?

小野塚:あ、オーダーで作ってもらったのもあるんですけど、だいたいそうですね。これ(11号)なんかは吉田と2人で渋谷に行ってアイス買って、そのまま駐車場で。前もって用意しておいた帯をカップに巻いて「早く撮れ!早く撮れ!」とかやってて…。これはだから…後部座席です(笑)

酒井:あとこの4号目のは中野ブロードウェイの地下にあるアイスクリーム屋さんですね。階段の踊り場で撮ったっていう。

野村:思ったより…すごいアナログ感ありますね。

酒井:そうなんです。アートもそうなんですけど、基本的にデジタル合成よりもクラフト感を大事にしていきたいというのがありますね。

小野塚:全部パソコン上でやっちゃったら、作ってるかんじがしないというか。そもそも足で雪山に登って写真撮ってという、超アナログな事をしてるんで…。

酒井:そうそうそう。

●制作の流れ

野村:制作の流れについて聞かせてください。毎号動き始める前に編集会議みたいなことはしているんですか?

酒井:まあ一回くらいは…しますね。でもそんなに中身のある話じゃなくて、近況を話したりとか仕事の話をしたりとか。マガジンの話はたぶん5分くらい…。

小野塚:全体の流れで言うと、まずシーズン中に僕がどんどん撮ります。で撮り貯めたもの多少セレクトして酒井さんに投げるんです。すごい量です。

野村:まずは写真なんですね。

小野塚:そう。で、酒井さんが大枠の台割をなんとなく組んで、それをまたこちらに戻してもらう。それを見ながら僕が今度は写真の微調整をして…ていうのを何回か繰り返して、徐々に尖ってきてある程度形になったものを吉田に。そこから吉田がインスピレーションを感じたものでアートを作っていく。「これとこれとこれ、アート入れるから」という話をしながら、今度はアートを入れるの以外でまた微調整したり。最終的にアートを入れたものをはめてみて、完成。

酒井:おもしろいのが、やっぱり一枚の写真でも、それぞれの視点があって、これがかっこいいとかこれはちょっと違うんじゃないかという意見が3人とも違ってる。1秒間に数コマ撮れる、その0.何秒の差でこっちの写真がいい、いやこっちがいい、みたいな微妙なこだわりをみんなすごい持っていて、そこの議論は面白いですね。

04
●撮影の話

野村:被写体になるライダーはどういう繋がりで声をかけるんですか?

小野塚:だいたいは僕がスノーボードの写真を撮り始めてからの16年くらいの間に知り合った仲間ですね。もちろん毎年若い子もどんどん増えているんですけど、友人の知り合いだったり、メーカーの仕事で撮影したライダーだったり、コンテストで目についたライダーとかも。僕のスケジュールで好き勝手に僕が撮りたいヤツを撮ってます。だいたいみんな仲間との繋がりで声をかけてるんですけど、毎年どんどん声をかけて撮影して発行していることで、ライダー側からもいい写真を撮ってもらえると思ってもらえて「今度撮影あるんですけど来てもらえますか?」とか、こっちの撮影でも向こうの撮影でも、お互いに声をかけ合える。シーズン中は仕事での撮影の合間を縫って色んなヤツに連絡してスケジュールを組んで撮影してますね。デザートマガジンでは自分のプライベートな時間で撮ってるのがだいたい7割くらいで、あとの3割が何かしら仕事を絡めたやつを、そのメーカーさんや主催者側の許可を得て使わせてもらってます。

酒井:やっぱり誰でも撮れるわけじゃなくて、ライダーとカメラマンとの信頼関係がないといい写真て全然撮れないんですよね。ライダーがどのタイミングでいちばんかっこよくターンするかとか、どこのライン狙ってくるかとか、ある程度コミュニケーションをとってお互いの信頼関係がないと、いい写真はぜったい撮れない。

小野塚:いいこと言うね。

酒井:ほんと、それはね。このカット(※13号 本チャプター上部。雪山でのライディングカット)とか、どこを当て込んでどのスピードで入ってくるかとかは、彼のスノーボーディングを知ってないと撮れないんですよ。

小野塚:僕の山の写真はこの星野俊輔というライダーが多いんです。彼とは結構付き合いが長くて、だいたいマンツーマンで撮影してますね。これは最初僕が撮ってる位置で2人で話してるんです。「こうきて、この月の溝の30mくらい下のこの膨らんでるとこあるでしょ。ここでターンしてもらいたいんだよね。」とか。たぶんこれを撮る10分くらい前ですね。で「わかった。このへんね。」って、ここでちゃんとターンしてくれてる。

酒井:ライダー的には、山を見る技術だったり自分がどのスピード感でどういうターンをすればかっこいいラインが入るのかということをちゃんと自分の頭に描けてないとできないんですよね。
別の視点で言うと、こういう山に行くと雪崩や遭難の危険性というものが常にあるから、そういう命の信頼関係ももちろん築けてないといけない、というのもあります。なのでまあ、山の技術も、山の知識や経験もちゃんとないと、こういう写真は撮れないんです。

08

小野塚:僕はそこまで山岳カメラマンじゃないんです。山の撮影も好きなんですけどゲレンデの撮影や
特殊なロケーションの撮影も大好きで、ライダーも色んなタイプがいるんで。それぞれが活きるところを撮りたいんです。ちなみにこれは女性ライダーで(※11号 本文章上部)、この階段オレらが作ったんです。

野村:えええ!

小野塚:ホームセンターで材木買ってきて、潰れたゲレンデの麓で作ってみんなで持ち上げて、穴掘って設置して…。で、夜に撮影。

野村:すごい手づくりですね…!こういうことやろうよ、っていう企画はまずはどこから出てくるんですか?

小野塚:それはもう、滑り手発信、撮り手発信…てんでばらばらです。ライダーがローカルだと現地のセッティングができたりもしますし。あとは、廃墟とか、ちょっと書けないかんじのやつも…。

野村:ああ〜確かに…。

小野塚:たとえばコンディションが悪くてゲレンデだとあまりいい撮影ができない、っていうときもあるんですけど、天気悪いから何もしないというわけにはいかないんですよ。時間も限られてるので。だから滑り手とみんなでロケハンしながら、「あ、あそこどう?」とか「あれ廃墟じゃない?」「ちょっと行ってみようぜ」となったりして。でそのままもう「あの上からドン!ドン!ドン!って降りて来れない?」「わかった。やってみるわ。」みたいなかんじでバーッと撮って「次行こうぜ」とか。

野村:なるほど〜。そういうのはもうゲリラ的に行って撮ってくるかんじなんですね。

09

小野塚:そうなんです。いきなり行ってすぐ終える。あ、これ(※10号 歩道橋でのカット)なんかはもう完全にヤバいやつですね…。これは国道沿いの歩道橋で…。警察来たら一発で持ってかれるやつです…。

野村:もはや時間との戦いですね…。こういうのはもう一回でキメるみたいなかんじですか?

小野塚:いやいやいや。これがまた大変なんです。ドキドキしながら…。日中はまだいいんですけど、夜はストロボとか投光器とかを焚かないといけないんで、けっこう目立つんですよね…。

野村:まあ、目立ちますよね…。

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小野塚:これ(※10号より。トンネルでのライディングカット)は夜中なんですけど、車道に雪をめっちゃ敷いて…。

野村:ここは車は通らない道なんですか?

小野塚:いや、通ります。僕は道のド真ん中にいて、ライダーの彼に無線で「今車来たからちょっと待って!」とか。

野村:普通に車通るんですね…。
ゲリラ撮影してて、怒られたこととかあるんですか?

小野塚:ぜんぜんあるんですよ…。ほんとに…。30代で子どもいるのに…。

酒井:警察と一緒にいる写真がインスタとかによく上がってます(笑)

小野塚:近所の人が通報しちゃったりとか…。けっこうな勢いで怒られます。でもすぐ帰るって言っておとなしく帰るので注意止まりです。故意に何かを壊したりしてるわけではないので。で、一回近くのファミレスで作戦会議して、「よし、じゃ2時間後にもう一回行くか」とか。あるいは夜中とか翌日とか。どうしてもやりたいんで。

野村:諦めないんですね。

酒井:アメリカのスケーターたちもそうですけど、横乗りのカルチャーのちょっと反社会的な部分というか。そこがまあ…かっこよかったりするんですけど。

小野塚:でも基本的にある程度の線引きがあって、”怒られる範囲内の場所”にしてます。この線超えるとアウト、というところのギリギリまででやってる。まあ、ギリギリなので、ケガも多いですよ。

野村:そうですよね…。

小野塚:階段でコケて頭ぶつけちゃって、10分くらい休憩してから「オレなんでここにいるの」って言い出したり。説明してもまた2,3分で「オレなんでここにいるの」って…。記憶飛ばしちゃって。

野村:それはこわい…。でも、それでもやらずにはいられないんですね。

小野塚:そうみたいですね。ライダー達は本当にスゴイです。

野村:何というか…。作る側の姿勢がとてもフリーペーパー的で嬉しいです。

酒井:スノーボードをライフスタイルとして好きな人が見てももちろん、全然スノーボードに興味がない人が見ても、あ、スノーボードってかっこいいんだな、ってちょっとでも感じてもらえたらいいなと思って。

野村:それはもう、すごい感じます!

立ち上げエピソードから撮影裏話まで、ワクワクしっぱなしの前半でした。それにしてもお二人、本当にスノーボードへの思いが溢れております。さらっとかっこ良く、なんかではなく、もうアツ苦しいくらいのスノーボードへの思いで作り続けていることが伝わってきます。そしてマガジンを無料で発行し続けることへの思いやこれからのことなどのお話が飛び出す後半へと続きます!

text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 野村(ONLY FREE PAPER)


2016-09-25 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 

 

インタビュー #1 「tentonto」(後編)

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前半に触れられていた、「何も知識のない0の状態を1にする」ための様々なアプローチ。その裏にあるのは「このフリーペーパーが自分の夢」と言い切れるほどの想いでした。

『ASD & ADHD Magazine TENTONTO』

発達障害への理解を広めることを目指して、2014年に創刊。
約4ヶ月おきに発行され、現在no.5まで配布中。
今回お話をうかがったお二人が立ち上げ人。
タイトル「テントント」は、「テント(発達障害当事者には、テントのような狭い場所を好む人が多いことから)」と「トント(スペイン語でバカを表す)」組み合わせたもので、「テントバカ」という意味。
http://tentonto.jp

●当事者・非当事者、それぞれから見る「テントント」

非当事者同士の人間関係の中でも共感を覚えるこのフリーペーパー。
一方で、このフリーぺーパーが当事者に向けて発信しているもの。
両方の視点で読む「テントント」

橋爪:テントント自体は、「発達障害当事者とその周辺の人が、理解を広めよう」ってテーマでやられていると思うんですけど、当事者でもないし、周りにそういう人がいるわけじゃない私でも、すごく共感を持てる部分があるなって感じました。そういう読まれ方はもともと狙って行ったものなのか、予想外のことなのか。

原:それも狙ってましたね。

橋爪:やっぱり狙ってるんですね。

原:僕も、当事者じゃないんで。

ユミズ:まったく、違います、はい。

原:同じ部分と違う部分っていうのがあって、違うって言ってもやっぱり同じところも結構あるってことを、ちゃんと知ってほしい。知らないからもう知らないみたいな分け方じゃなくて、知って、ここまでは一緒だけどここからは違うなとか。でもそれって本来、他人と自分って、絶対そういうところってあるじゃないですか。その延長っていうと、ちょっと語弊あるんですけど、知らないでいると枠から外れちゃうんですけど、知ってるってことによって、なんだろう、もっと仲良くなったらいいな(笑)って思うんですよね。

あと、これはタキス君のいろんな苦労したっていう話を聞いて、思ったことなんですけど。世の中ってまだまだ、どこまでが怠惰で、どこからがその人のどうしても出来ないことなのかっていうのをちゃんと分かっていない人が多い。それが、その人がどうしても出来ないことに対して、できるようになれっていう圧力を生んでしまうと思うんですね。そういう状況を見て、どうかな、と思ってて。そういった意味でもいろんな人に知ってほしいですね。やっぱりその自分では当たり前って思ってることが、他の人にとっては当たり前じゃないってことも多くて、できることとできないことって人によって全然違うので、そのあたりも知ってほしいなっていうのがありましたね。

ユミズ:変わらない日常を大事にする人(当事者)が、変わらなきゃいけない圧力を感じながら、ちょっと重苦しくなることもあると思うんです。そういう人たちがテントントを読んで、少し楽に、自分と向き合い始めてもらえるようになれば、っていうのかな。

橋爪:私はテントントを、当事者でも当事者周辺でもない、外側からの読者っていう視点からしか読むことができないので、当事者・当事者周辺からは、どういうリアクションがあるのかを教えていただきたいです。

ユミズ:自分やご家族と照らし合わせて考えられる方が多いですね。視点自体が明るいところも、今までになかったからいいなって思ってくださる方がいます。この活動・フリーペーパーがあることですごく助かってますって言ってくださる方もいます。本当にありがたいことです。

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●テントントが発信するもの、「センサリーデザイン」

「センサリーデザインのある日本の未来を」
キーワードから読み解く、「テントント」の発信の姿勢

橋爪:このフリーペーパーを読むうえで、「テント」「センサリーデザイン」「感覚の違い」って3つがすごい重要なキーワードだなって思ったんですけど、このキーワードが設定されるまでにはどういう過程があったのかっていうのを教えて下さい。

ユミズ:冊子を読み返していて、「センサリーデザインのある日本の未来を作りたい」っていうのを、すごく言いたいこととして持ってるな、って改めて思いました。発達障害を持ってる人たちって、ストレスが溜まりやすい人たちだと思うんですよ。そういう人たちが少しでも楽に暮らせるように、生活を変えたり、生活のスタイルを変えたりするっていうようなアイディアが、センサリーデザイン、「個人の感覚から発した設計」ってことですよね。

引っ越したすぐの家って、そんなに心地よくなかったりするじゃないですか。自分用にカスタマイズすると思うんですけど。それの延長線上で、そういう考えだったり、行動だったりができる人がいたらいいなって。

発達障害の方全般に言えることですが、変化が苦手な人たちなので、環境を変えた方がいいのに、渋ってる人も多いっていうのかな。「変化を恐れない」っていうのを伝えたくて、それが冊子の見た目にも繋がってるかもしれないんですけどね。

「個人の感覚に端を発してる」「変化を恐れない」っていうのと、もう1個すごい大事なのは、「変化に対して真摯に向き合う」っていうのかな。とりあえずドカドカっと変えちゃって、結局居心地が悪くなったりとか、意見を聞いてあげなかったりすると元も子もなくなってしまうので。テントントの特色として、楽しい感じにしてるとはいえ、少し真面目というのかな。そのちょっと堅い部分は、変化ってゴリ押しでいくものでもないんだよっていうのを意識しています。

原:僕のデザイナーとしての観点から言うと、センサリーデザインという言葉が結構魅力的というか。本来デザインって今言われてるようなことよりもっと、パーソナルなものだと思ってて。「センサリー」っていうのって、発達障害を持ってる人だけじゃなくて、程度は全然違いますけど、どの人間に置いても、こういう触覚が嫌とか、黒板ひっかく音が嫌だとか。そういう小さい積み重ねがそれぞれ個人においてストレスだったり、嫌だったり、付いて回るものなので、そういった意味でも、デザインやってく上ですごいその「センサリー」っていうのは考えるべきものなんだなっていうのは思いますね。発達障害を持っている人って100人に1人ぐらいなんですけど、「デザインは、ちゃんとそっちを担わなきゃいけないんだな」っていう感じだから、そういうものを伝えたいっていうのはありましたね。

ユミズ:「テント」に関しては、「セーフヘイブン」って言葉で、すごい、海外で今言われてるんですけど。

橋爪:へー。

ユミズ:安全なヘイブン…。要するに避難場所ってことですかね。遮断されたような場所とか。気持ちを落ち着かせたり、考えを整理したりとか、するための場所。そういう風な一角を部屋に設けるっていうことを、デザインの設計事務所がやっているって認知も全然ないと思うから、知ってほしいです。

家に帰ってからのストレスを溜めないようなものがすごい求められてるんじゃないかなって。特に過集中なので、すごい無心になんかやったりするんですよ。だから、それで疲れちゃうよりは、落ち着ける場所があったらいいなっていう提案ですね。

原:逆に、どこも落ち着けないんですよ、世の中。

橋爪:ああ。

原:だからこそどこかに、自分のプライベート空間ぐらいには、落ち着けるところが必要だっていう。

ユミズ:最初の一歩として、それが大事なんじゃないかってことですね。

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●創刊から現在まで。メンバーの変化が意識の変化

現在5号までを発行。
作り手が変化していきながら、「ポイント」を探している。

橋爪:号を重ねるごとに、創刊号の時から意識の変化ってありますか?

ユミズ:メンバーの変化が意識の変化でもある感じですかね。メンバーが、テントントの内容に理解を深めていく中で、自分やご家族と重ね合わせて、例えば、「このせいで自分の妹と喧嘩したのか」とか。そういう気づきが入ってるところもあるのかな、とは思いますし、入れていきたいですね。それが入ってこそ、中身の濃い冊子になっていくかなと思っているので。頭でっかちな感じで、私一人の頭の中でやっていたようなことが、より複雑に多様になっていってるのかな、とは思います。

原:結構客観と主観の間を行き来してる感じがしますね。最初はただただ客観的で。

ユミズ:そうですね。

原:それが今は、より狙ってるというか。間を行き来してる。ポイントを探している感じがします。

ユミズ:より、個人に根ざしている感じはします。メンバー間での雰囲気作りができてるってことかな、とも思ってます。私たちは、日常、なかなか同じような感覚を共有できる人がいないので、その分メンバー間で話し込むことも多くて。仲が良く。だからこそできることもありますね。

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●「このフリーペーパーが、自分の夢」

「0から1にする」それが叶うメディアだからこそ「やると決めた」

橋爪:フリーペーパー発行を続ける上での資金のお話を、お答えできる範囲で教えていただいても大丈夫ですか。

ユミズ:メンバーの方には、協力していただいている分、金銭面で協力してもらうのはおかしいと思っているので、完全に発行人である私の能力で発行している冊子で、それにプラスとして、本当にいいと思ってくださった方にご協賛いただく、っていうことでやっています。そうですね、確かに課題だとは思うんですけど、個人的にはもう、やると決めたっていうか。自分の意思、夢なんですよ。それを叶えるっていうことに一番直結しているものなので、金銭面に関して、ネガティブなイメージは持ってないですね。

広告は今現在も募集してるんですけど、広告だよりになってもなーってところもあるから。どうなんでしょう。まあ、私がいれば続けていくわけですから。そういうところで、納得してるっていうか、頭悩ませてるって程ではないですかね。

橋爪:「このフリーペーパーが夢だ」って言いきれるのはすごいことですよね。

ユミズ:0から1にするってとっても労力がいるものなので。それが叶うメディアとしてやっていて、すごい力を持ってると思います。ご協力いただいている店舗さんが今二十何店舗ありまして、ご協力いただいてるってことの方が奇跡みたいに感じています。自分ができることはやっているけど、それを超えて、皆さんにありがたがってもらえるっていうのはすごい嬉しいし、ありがたいことです。

「テントント」の中身を通じて伝えたいこと、そして、その中身をどうやって発信していくか。インタビューを通して、その2つが少しだけ見えてきたような気がしました。
真剣な言葉、少しくだけた一面、そして最後にこのフリーペーパーにかける熱い想い。
そんなお二人が映し出されたかのようなフリーペーパー、「テントント」を、私はこれからも読者として楽しみ続けたいと思います。

text・interview 橋爪(ONLY FREE PAPER)
photo 奥山 (ONLY FREE PAPER)


2016-06-18 | Posted in OFP STAFF, インタビュー2 Comments » 

 

インタビュー #1 「tentonto」(前編)

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様々なフリーペーパーが並ぶ中でも、パッと目に飛びこむ黄色い表紙。線画のイラストに惹かれて手に取ってみると、未知の情報がつまった紙面が、読者に思考のきっかけを与えてくれる。「真面目な題材をポップに伝える」そんな魅力はどうやって生まれるのか?

編集長のユミズタキスさん(タイトル画像:左)とデザイナーの原裕也さん(同:右)に、新人スタッフ橋爪がお話をうかがいました。

『ASD & ADHD Magazine TENTONTO』

発達障害への理解を広めることを目指して、2014年に創刊。
約4ヶ月おきに発行され、現在no.5まで配布中。
今回お話をうかがったお二人が立ち上げ人。
タイトル「テントント」は、「テント(発達障害当事者には、テントのような狭い場所を好む人が多いことから)」と「トント(スペイン語でバカを表す)」組み合わせたもので、「テントバカ」という意味。
http://tentonto.jp


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●「テントント」創刊のきっかけ

大学の同級生同士で共有していた思いが、フリーペーパー文化と結びついて「テントント」という形に。
そんな、創刊までのエピソードと、創刊時から今に通じる「伝えたいこと」

橋爪:お二人の出会いと、テントントとしての活動を始めたきっかけを教えてください。

ユミズ:大学が同じです。この活動を始めたきっかけとしては、私は小さい時からASDやADHDの診断を受けていた人間ではなかったので、まだ知らなかった状態から、自分のことをちょっとずつ分かってきた時に、やりたいこととして、自分も当事者だけど、支援活動のようなことをできたらいいなって思って。特に立ち上げの時にサポートしてくれたのが原くんです。

原:最初に彼が、アスペルガーを持っているってこと自体を聞いてもよく分からなくて、やりとりしていく中でだんだん分かってきたことが自分の中で驚きというか、今まで全く頭になかったところだった。それまでは、ちょっと変わってるなとかその程度にしか思ってなかったことが、彼との関わりによって発見があったので、それをシェアしたいなっていうのがあって。

橋爪:てっきり、活動をしてて、そこに賛同、みたいな感じで始まったのかなって思ってたんですけど、そういうんじゃないんですね。

ユミズ:本当に1号の時は、身内っていうか、そんな感じで始めましたね。

原:この表紙描いてくれた人も、別にいるんですけど、そいつも大学が一緒で、3人集まった時に何かしたいねって話になって、ちょうど、僕とタキス君が発達障害についていろいろ考えている時だったので、それをテーマにやっていけばいいんじゃないかっていう話になって。

ユミズ:じゃあ1番に渋谷のパルコ(のONLY FREE PAPER)に行ってみなよって(表紙の絵を描いてくれた)そいつから言われて、こういう、ZINEの文化があるんだなっていうのをその時知りました。

橋爪:じゃあ、テントントを創刊する前から、フリーペーパー自体に興味を持っていたわけではなくて、たまたまこの表紙の絵の方が教えてくれて。

原:僕は全然(フリーペーパー・ZINE文化について)知らなかったです。

ユミズ:僕も全然。表紙の絵の彼がかなり詳しくて、ピンと来たみたいな感じで、教えてくれたんですけど。

橋爪:表紙のイラストの方がすごいフリーペーパーに詳しいっていうのと、お二人のところにあった「発達障害をもっといろんな人に知ってもらいたい」っていうのが、たまたま結びついて始まった感じですか。

ユミズ:そうですね。

橋爪:フリーペーパー発行に至るまでの問題意識のようなものを教えてください。

ユミズ:僕自身が、発達障害を持っているから上手くいかなかったことっていうのに全然自覚がなくて、客観的に見られていなかった。特にちっちゃい時は、自分で環境を変える力がなかったので、自分の部屋を、すごく気の散る部屋にしちゃってたんですよ。自分の特性を客観的に見て、それに合わせた環境をつくっていくようなことが、もっと知られていれば、もうちょっと居心地の良い場所で過ごせたんじゃないか、ってことを考えて。それが実際に、「センサリーデザイン」という言葉で、イギリス発で実践されているのを知って、日本の方にも伝えたいなって思って始めたのがこのフリーペーパーです。

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●フリーペーパーであることの価値、「もの」の力

フリーペーパーという形でなかったら、「テントント」に出会わなかった人たち。その一人として気になる「なぜフリーペーパーなのか」

橋爪:「発達障害への理解を深める」っていう目的のために、フリーペーパーじゃなくても、例えばwebで発信とか、最近だったら、ユースト番組とか、YouTubeで動画配信とか、あると思うんですけど、わざわざフリーペーパーを選んだ理由って。

ユミズ:えー、ユースト配信、やりました。

橋爪:あ、やられてたんですね(笑)

ユミズ:まずは身近な所からということで、私と原で、ほぼ毎日やってたんですけど。

橋爪:毎日! すごいですね。すごい(笑)

ユミズ:毎日(笑)

それもやりつつ、例えばいきなり「自閉症」とかの専門用語でYouTubeを検索してくる人がどれくらいいるかってことを考えて。

橋爪:確かにあんまりいないかもしれないですね。

ユミズ:それでなんかできることないかなって時に、先ほどお伝えしたようなきっかけで、フリーペーパー・ZINEのことを知って、それでやるようになりました。

Webページもやってまして、あくまでフリーペーパーのサポート的な立ち位置のつもりだったんですけど、毎日やらないと続かないんだろうなーとか、思いながら、あげています。Webコンテンツを作ることが、(ASD・ADHDについての情報を)いろいろ調べるモチベーションにもなりますし。

原:あと、冊子とWebの違いって、やっぱり、出会い方の違いというか、Webから入るのと、街角でパッと目に入って見ていくのだと、導入が違うと思うんですね。

橋爪:そうですね。

原:やっぱり、こういった冊子でしか出会ってくれない人って、絶対いると思うんで、そういった意味でもこれからもどっちも続けていきたいって思ってます。

ユミズ:そうですね。やっぱり、webにも全部公開して読めるようにはしてるんですけど、それを見た上でやっぱり冊子が欲しいって言ってくれる方とても多いし、やっぱりこう「もの」の力っていうのかな、やっぱり、「冊子がある」っていうのって、価値のあることなんじゃないかなって思います。

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●0から1に 「まず知ってもらいたい」

先入観をなくすこと。取っていってもらうための工夫。
伝わってくるのは、「気づいて欲しい」という想い

橋爪:このフリーペーパーをパッと見た時に、表紙の情報量少ないなって思うんですけど、雑誌の表紙って、例えば、「特集:テントが大好きな人たち」コーナー名、みたいにいっぱい書いてあるのとか、よくあると思うんですけど、あえてこの少ない情報量にしてる理由ってあったりするんですか。

ユミズ:そうですね、デザイナーの意図からすると、「発達障害」っていう言葉の強さってあるじゃないですか。その強さが目を留めるきっかけになるってこともあると思うんですけど、その強さではねのけてしまう人もいるんじゃないかな、なんてことを思いまして、それを加味しています。紙の中で、情報量は少ないけど、おっ! とは思ってもらいたいみたいな感じですかね。

原:先入観を持って読んでほしくないというか、まずは読んでもらわないと分からないことなので。最初っからぎょっとさせるよりも、よくわかんないけどなんかありそうだなって感じのもので。別に、なんだ、出しといてあれですけど、すごい読んでほしいってわけじゃないんですよ。

橋爪:ああ〜

原:こういう感覚に合った人が来てくれればいいかなって思ってて。従来の医療系の雑誌でもないので。読む方も構えなくてもいいような感じにしたかったっていうのはありますね。

ユミズ:現状、問題があるよーぐらいまでは、取り上げられているんですけど、本当にどういう人達なのかまでは知られていない。100人に一人ですからそんなに多くないとはいえ、120人の学年だったら一人はいるわけで、そういう人がいるっていうところを、知らないよりは、0よりは興味を持っていただけたらなって。

冊子の中身は、結構濃いと思うんです。知らないから面白いっていう情報は結構入ってて。それは、当事者にも言えて。当事者も興味の幅が狭いから、少しは視野が広くなるきっかけになっているのかな、と思います。

原:紙面に取り上げている内容について、知ってほしいは知ってほしいですけど、どれくらい知るかっていうのは、読み手の理解力もありますし、こちらの伝え方の問題もあるので、だから、気づいてもらえれば、まずいいっていうのがあって、その中でどれくらい理解してるかっていうのは、僕としてはそんな気にしてないです。

ユミズ:原が言っているように、「頭に入れてほしい」っていうのが結構、核心をついていて。色々な風に捉えていただきたいですし、いろんな風に捉えていただきたいから、まず知ってもらう、っていうところに最終的になるのかな。

原:中身に関して言うと、結構いろんなアプローチをしていて。というのも、やっぱり、どれかのコーナーに、誰かが引っかかってくれるんじゃないか、っていうのがあって。全部が好きとは言えないかもしれないけど、このコーナーは好き、みたいなのが、一つぐらいはあればいいな、って思って。そう言った意味でも、バラバラ…じゃないけど。

ユミズ:実験的な。

原:製作メンバーそれぞれの性質を活かして作って、かつ、メンバーの性質が、読み手の誰かに共感してもらえたらいいな、と思ってます。あと、その時は読んでも分かんなかったけど、一回これを知ったことによって、日常生活で、何かしら気づきがあって、改めて読んでそういうことだったのかって思うようなのがあってもいいと思う。そのためにもとりあえずまずは知ってもらいたい。知ってもらうっていうか、頭の隅に入れてもらいたい。

ユミズ:取っていってもらわなければいけない。

原:そのための(とっかかりとして)、(デザインなどの)かっこよさはありますね。あと単純に言うとダサいのやだったんで。ダサいのばっかりだったんで、自分たちがつくるものは、ダサいのやだなって(笑)

橋爪:「ダサいのやだ」ってすごくいいと思います(笑)

原:ダサいものを駆逐したい。

橋爪:ダサいものを駆逐したい(笑)

さっき、「手に取ってもらうのがまず大事」っておっしゃっていたと思うんですけど、「テントント」っていうタイトルがまず、リズムの良さとしっかりした意味を兼ね備えていて、すごく良いタイトルだなって思いました。

このタイトルってすぐに思いついたんですか?

ユミズ:タイトル考えたのは私かな? 発達障害持ってる方って、得意不得意がすごくばらつくんですが、私もばらついている中で、言葉は結構得意なんです。だから、例えば「トント」って言葉があって〜、みたいな情報が、いっぱい頭に入っているので、そういう部分がもしかしたら命名に活かせているのかなって。

原 : 命名の流れを言うと、「テント」いいよねっていうのがあって、テントテントとか言ってて、テントテントはどう?みたいな話をしたりしてて。

ユミズ:「トント」はバトルスっていうバンドの曲名からとってて。その「トント」の PVでモチーフに なっているインディアンの、どこか野生的なイメージが、 ASDやADHD当事者に感じる動物的な部分と 重なる、っていうようなことを、一瞬で、パーって思いついて、「テントント」になりました。

原:個人的に面白いなって思ったのは、インディアンて、ネイティブアメリカンなんですけど、白人から見てバカって思うだけであって、本当は誇り高くて。お前らバカって言ってるけど、それは知らないからバカって思えるだけで、本当はそうじゃないっていうのが、結構言い当ててる感じもあるんですよ。

橋爪:なるほど。

原:タイトルを決めるのは、タキス君がいたから楽だった。

ユミズ:長所を活かしあいながらですね。

「テントント」にこめる想いを語る中に、くだけた一面が見える場面も。
そんな様子は、このフリーペーパーが持つ空気そのままのよう。
読者からのリアクション、創刊から現在までの変化など、インタビューは後編へ続きます。

text・interview 橋爪(ONLY FREE PAPER)
photo 奥山 (ONLY FREE PAPER)


2016-06-15 | Posted in OFP STAFF, インタビュー2 Comments » 

 

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