OFP STAFF, インタビュー

インタビュー #4  「 BEYOND」(前編)



河原に佇みカメラに対峙する4人の男女。彼らの手にはプラカードとメガホン。
あれ?なんだろう、どこの国だろう、と思わず目を留め手に取ったのが『BEYOND』の創刊号。その写真からは、国籍も性別も4人の関係性も、さらには屋外なのに季節感も判別しにくい、つかみ所のないような、それでいて目が離せないような、何とも印象的な表紙。
このフリーマガジン『BEYOND』編集長であり、特定非営利活動法人東京レインボープライド共同代表理事でもある山縣真矢(やまがたしんや)さんにお話をお聞きしました。

『BEYOND』

「らしく、たのしく、ほこらしく」をモットーに、性的指向および性自認(SOGI=Sexual Orientation, Gender Identity)のいかんにかかわらず、すべての人が、より自分らしく誇りをもって、前向きに楽しく生きていくことができる社会の実現を目指し活動する特定非営利活動法人東京レインボープライドの機関誌として、2016年4月に創刊。
春と秋、年2回のペースで発行され、現在の最新号は先日発行された第3号。
http://tokyorainbowpride.com





野村:BEYONDはNPO法人の機関誌ということなのですが、まずは団体の成り立ちや活動についてお話を伺えますか?

山縣:はい。東京レインボープライドという団体は2011年の5月に設立されまして、現在僕と杉山文野が共同代表理事を務めています。

野村:毎年春に代々木公園周辺で開催されているレインボーパレードを主催しているということですが、そもそものパレードのいちばんの趣旨というのは、セクシュアルマイノリティの認知を広める、という理解で合っていますか?

山縣:まあそうですね。LGBTとかセクシュアルマイノリティの可視化とか、差別や偏見に対して訴えていくとか…。というものがコアにあって、それにフェスティバルというか、祝祭的なものが加わっていく。国によっていろんなやり方があったりとか、打ち出し方は違いますけど、広く一般的に、プライドパレードというのはそういうものですね。
そもそもの発端というのはアメリカのNYで、1969年6月28日にグリニッジビレッジにあるストーンウォールインというゲイバーで起こった事件(※1)の1周年のデモ行進が、現在世界各地で行われているプライドパレードのスタートといわれています。そこから違う都市にも展開していって、日本での最初のパレードは1994年に開催されています。

野村:日本でパレードが始まるきっかけというのは何かあったのですか?一時期LGBTブームというのがあった、というのは以前何かで読んだのですが…。

山縣:ええと、当時はLGBTと言わなかったんですけど、’91年、’92年あたりにゲイブームっていうのがあったんですね。雑誌で取り上げられたりテレビで取り上げられたりとか。伏見憲明さん(※2)が「プライベート・ゲイ・ライフ」(1991年刊行)というのを出したり、映画の「プリシラ」(1995年日本公開)や「二十歳の微熱」(1993年公開)もその頃で…。そんなゲイブームの前には、「府中青年の家事件」(1990年2月)(※3)という事件も起こりました。同性愛者の団体が東京都を相手取って裁判になるんですけど、そういうのもあったりして、90年代の前半頃にちょっとしたブームがあったんです。

野村:それは主にそのライフスタイルとか、ゲイのコミュニティで起こっていることに注目が集まってたということだけでなく、根本的な人権の問題ということに着目する人も増えてきたという時期だった?

山縣:まあ…裁判もあったし、そういうのを取り上げた本だとか、ドキュメンタリー番組というのも当時はやられたりもしていたけれど。とにかくアンダーグラウンドでなくメジャーなメディアが取り上げ始めたということで注目され始めた時期で、’94年にパレードをやろうという流れもできたと思うんですよね。いちおうこれはアジアで2番目の開催と言われています。
僕は2000年のパレードに、当時は「レズビアン&ゲイパレード」と言っていたんですけど、そこでフロート出展者をサポートするかたちで初めて参加しています。で、2002年から実行委員というかたちで運営に携わるようになりました。もう15年ですか…。

野村:15年…!毎年パレードを開催しているのですか?

山縣:それがなかなか、毎年とはいかなかったんですよ。東京のパレードというのは、’94年から始まり、主催団体やパレードの名前も変わったりしながら、開催が続いたり、何年か開催がなかったり、パレードのないフェスティバルという形での開催になったり、という感じできて…。で、2011年5月に東京レインボープライドという団体を設立し、翌年の2012年4月に第一回目の「東京レインボープライド」を実施して、そこからはもう毎年やっています。



野村:2015年にNPO法人化して、いよいよ翌年に機関誌である『BEYOND』の創刊ですね。こちらを創刊した経緯についてお聞かせください。

山縣:もともと2012年の第一回目の東京レインボープライドの時から、「TRPオフィシャルガイド」というタブロイド判の媒体で、具体的にプライドウィークとかフェスタやパレードなどのいわゆるガイドとして毎年作っているものがありました。広告を入れて作っているのですが、だんだん大企業なども入るようになって誌面の棲み分けが必要になってきたというのもあって、法人化を機に棲み分けをしたこちらのBEYONDは、もう少しかっちりしたもので、団体の機関誌として作ろうということになりました。創刊号を2016年の4月に刊行しているんですけど、2015年の年末くらいから相談し始め…、それこそ雑誌のタイトルからですね。昨年の東京レインボープライド2016のテーマが“Beyond the rainbow”というテーマだったんですけど、その“Beyond”というのを機関誌のタイトルにしましょうということになった。



野村:性に限らずマイノリティのコミュニティというのは、情報を探すとしたらやはりまずはインターネットだったり、広めるほうとしてもインターネットのほうが“広く早く”ということで力は大きいかなと思うのですが、あえて機関誌という紙でつくる、紙で渡す、ということにこだわりはありますか?

山縣:もちろん、こだわりはありますね。編集もそうだしデザイナーにしてもアートディレクターにしても、その辺に対するデザインの力とか紙の力とか、webとは違うもの、というのはやっぱり意識しているし、こだわりは持って作っています。
あとはやっぱり、タブロイドのガイドのほうは、イベントが終わったらその役目を果たすんですけれど、BEYONDは機関誌で息の長いペーパーだと思っていて、特集だったら現時点でのその状況とか、そのときのトピックの人だったりとか、そういうものを入れているので、次の号が出たとしても、バックナンバーとして欲しい人はいるだろうと。webだとやはりどんどん回転していって消費されていく、みたいなところがありますけど、紙はこうやって手に持ってめくったり、ときどき引っ張り出してみたりとか、やっぱりそういうものだと思うので、何か引っかかりを持って読んでくれた人や手に取ってくれた人に、ずっと手元に置いておいてもらえるようなものであればいいな、と思います。

野村:そうですよね。BEYONDは紙で存在感があって、思わず目を留めて手に取ったり人に渡したりしたくなる、というのはすごくあると思います。

山縣:人から人へ渡っていくという意味では作り手の思いが伝わる部分も大きいと思うし…。実際、紙は大変ですけどね(笑)



野村:毎号巻頭に登場するスーパーシャイニーの候補はいろんな方がいると思いますが、取材対象や扱うテーマはどのように決めていますか?

山縣:取材対象は、何となくその号のテーマや特集の内容で決めていますかね…。僕の繋がりだったり、毎回スタッフに提案してもらったりもしていますし、結果的になんとなくまとまることもありますね。例えば、この新しい号だと、「LGBTと行政」という特集を組んでいるんですけど。2015年に渋谷区などで同性パートナー制度ができて、11月から世田谷区と渋谷区で同時に登録が始まってちょうど一年ちょっと経ったところで、それ以降にもいくつかの自治体がそれに続いていたり、この6月から札幌も制度を導入するんですけど、今のLGBTブームみたいなもののきっかけとして、同性パートナー制度はやはり大きいんですよね。ただ、同性パートナー制度って、要は“パートナー”の話なので、みんながみんなパートナーを持ってるわけではないし…。

野村:確かに、それはそうですね。

山縣:そうなんです。セクシャリティも様々ですし、実際、パートナー制度のことだけでなくて、自治体レベルでももっと条例とか計画とか、いろんなもので性的指向とか性自認などに関することってやられていたりするんですね。そういうものも知ってフォローしましょうということで、まず、自治体の同性パートナーシップ制度について解説した後、それ以外の自治体の動きや制度などを紹介しています。で、そのうえで、地方自治体だけでなく、もっと大きい国レベルでの法整備みたいなものがやはり必要だよねということで、国レベルの法整備の現状を、G7諸国との比較などもしながら、解説しています。作り終えてから何となくまあ一冊で通底するものはあるな、と思ったりもしています。



野村:この国別での比較は状況がすごく分かりやすいです。

山縣:この表を見るともう一目瞭然なんですけど、人権にしても同性カップルのことにしてもG7の中で日本だけ突出して法整備が遅れているんですよね。まあ、ここにロシアが入ってくるとロシアはもっとひどかったりするんですけど…。

野村:日本が遅れてるというのは、なぜだと思いますか?特に欧米とかと比べると。

山縣:人権については、まず根本的に考え方が違うなと思うんですよね。LGBTのことだけでなく、日本は人権とか差別に関する包括的な法律が無いんです。部落差別や障がい者差別など、個別のものに対する法律はいくつかあるんですけど。一方、例えば、イギリスでは、「2010年平等法」で、あらゆる分野における性的指向や性自認を理由とした差別の禁止が規定されています。あと、この表の「国内人権機関」というところを見ると、日本には「国内人権機関そのものがない」と書いてありますけど、他のG7諸国には国内人権機関がまずある。人権を擁護するために勧告などを行う機関があるというのが前提で、その国内人権機関の管轄に性的指向があるかないか、というレベルの話をしているわけですけど、日本はそもそもそういう機関そのものがない、みたいなところで…。もう二段階くらい差別ということに関しては遅れていると思います。というのと、同性パートナーに関して言うと、いわゆる「伝統的家族観」とか儒教的な家族観とか、あとは戸籍制度ですね。「家」を中心とした戸籍制度があるというのは同性パートナー制度とか同性婚を実現させていくにはすごく大きな障害になるんだろうな、というのがやっぱり他の国とは違うところだと思います。夫婦別姓もできない国ですから。その一方で、日本は宗教的な縛りは少ない…というところもまたあるとは思うんですけど。

野村:確かに、宗教で縛られるというのは日本ではあまり感じないですね。

山縣:例えばBEYONDの第一号でも記事にしていますが、韓国は保守的なキリスト教の団体とかがすごく反対勢力としてあって、露骨な嫌がらせや妨害とか、結構すごいのがあるんです。パレードやっててもガンガンそういうヘイトが飛んで来るような。

野村:日本では宗教的なものはあまりないとして、例えば政治的なところからの圧力とか嫌がらせとかはあったりするんですか?

山縣:そんなに露骨には…、でもまあ、だんだん増えてきているとは思います。LGBTの権利とか婚姻の平等といった課題が表面化するようになって、それを快く思わない人たちの声も出てくるようになったということだと思います。

野村:知る人が増えた、ということでもありますよね。

山縣:うん〜そうそう。割とどこの国でも同性婚制度とかできるときって、例えば議会を通る時でも結構僅差で通ってたりするんですよね。どこの国もやっぱりすごく国を二分するというか…。フランスなんかは同性婚制度ができるとき、賛成する側で何十万人というデモがあったら、反対する側も何十万人というデモがあったりとか、最新号で取り上げた台湾でも、同性婚の法制化に賛成する集会には25万人もの人が集まっているんですよ。で、一方でそこまでは多くなかったけど、同性婚に反対する人たちの集会も10万人くらい集まっていたりするんです。一般的には賛成する人が多いし、だからこそ制度が成り立っていると思うんですけど。

野村:日本もそういうのを越えていかないと…、というのはあるんですね。そういう意味では、例えば、LGBTへのヘイトの声が聞こえてきているということは、日本も今、動き始めている、ということなんですかね。

山縣:そうだと思いますが、もっと大きな視野で見てみると、もちろんLGBTイシューも重要で、僕らは当事者としてLGBTに関する課題をどうにかしたいと思って活動していて、パレードもそのためにやっているわけですけど、共謀罪にしろ、教育勅語の問題にしろ、そういう状況が今の日本にはあるわけじゃないですか、実際に。そうなってくると、LGBTの以前の問題として、日本の社会がどんどん息苦しくなってきているような気もしています。



日本におけるレインボーパレードの始まりから紙媒体BEYONDの誕生まで、状況は変化はしているけれど、まだまだマイノリティが生き辛いという社会を作っているのは私たち一人一人なのだと思わされます。そして誰もが前を向いて生活できるような社会にしていくのもまた、私たち一人一人なのだなあ。とても興味深く考えさせられます。集中力MAXのまま後編へ…!開催間近の東京レインボープライドについてもお聞きしています。



注:
(※1 1969年6月28日、ニューヨークの「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」というゲイバーが警察による踏み込み捜査を受け、居合わせたがゲイやレズビアンなどLGBTの人たちが初めて警官に立ち向かって暴動となった事件)
(※2 執筆や講演などで90年代のゲイ・ムーブメントに影響を与えた評論家、小説家)
(※3 同性愛者の団体に対し、東京都が「青少年の健全育成によくない」という理由で宿泊施設「府中青年の家」の利用を拒否した事に対して、1991年2月に団体が東京都を提訴、1997年9月の二審で原告団体の全面勝訴で結審。)



text・interview 野村(ONLY FREE PAPER)
photo 野村・松江(ONLY FREE PAPER)


2017-04-27 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 
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