OFP STAFF, インタビュー

インタビュー #8 「 ORB」



目というものは時に炎に焼かれ、時に矢に射抜かれ、時にクジラが直立する。これには憐憫の情さえ覚える。
しかし、目は時に口にもなり、鼻にもなるのだ。僕は、『ORB』というフリーペーパーを見た時に間違いなく、海外のZINEが持つあの【匂い】を嗅いだのだった。そしてどうやらそれは、英語と日本語からなるバイリンガルフリーペーパーであるという部分から放たれている訳ではなさそうだった。さらに、純度30%ほどのノスタルジーが僕に覆いかぶさってきた。
無性に気になったそのフリーペーパーをよく読んでみるとどうやら小笠原諸島について書かれているフリーペーパーであることがわかった。気になったものが身になる間も無く、さらなる好奇心がそびえ立ってしまったのだった。

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父島より船で24時間。たまたま発行者のルディ・スフォルツァさんが内地に来ているという情報を聞きつけ、早速お話を伺うことにしました。
なお、本文中の【東京】という表現はすなわち本土の東京を指しております。小笠原諸島も東京都ではございますが、便宜上今回はこのような表現で統一しておりますことご了承ください。

『ORB』

観光ガイドには書かれない、小笠原に住むヒトやモノ、文化や歴史を発信するフリーペーパー。創刊は2016年。おおよそ年2回の発行予定で、現在は2号まで発行されている。
https://www.facebook.com/boninislandorb/




・『ORB』を作り出すヒト、マチ

フリーペーパー、特に印象深いものには必ず物語があります。今回はひと際その点が気になってしまったので、フリーペーパーのお話を伺うより前に、発行者さんやそのバックグラウンドについてじっくり伺ってみました。

松江:スフォルツァさんのことについてざっくり伺ってもよろしいでしょうか?

スフォルツァ:生まれは東京です。父親がイタリア人なので以前は毎年夏にイタリアに滞在していたりしましたが、生活のほとんどは東京ですね。高校はスイスの学校に通っていました。高校卒業後は、東京の大学に通いながら仕事を転々としていました。いろんな会社で働きましたが主に日本語と英語を活かした内容の仕事が多かったです。その後、段々と東京から離れたいと思うようになり、以前より興味のあった小笠原に旅行として行きました。その後紆余曲折あって小笠原への移住を決断し、今年で小笠原歴5年になります。現在の仕事はフリーランスで日英翻訳しているのと、島の子供達や大人向けに英会話レッスンをしています。

松江:なぜ小笠原に興味があったのですか?

スフォルツァ:島という場所に興味があり、その中でも最も遠い所にある小笠原には何か惹かれるものを感じました。最初に旅行で小笠原に行こうと思った段階では島への移住は具体的に考えてはいませんでした。

松江:行ってみてどうでしたか?

スフォルツァ:当時色々な仕事をしてきてましたが中々うまくいかず、常に自分自身がしたい事を探していました。しかし、それが何かは分からなかったんですね。そうしているうちに次第に『自分が何をして生きたいか』ではなく、『どのような場所で生きたいか』というふうに考えるようになりました。そういった心境でいた自分にとって、とても印象深かった小笠原への旅は「あれ?ここに住むのアリなのでは?」という気持ちにさせてくれました。

松江:それは具体的にどのような点でしたか?

スフォルツァ:自然の環境がとにかく美しいという点もありましたが、それに加えて島に住んでいる人達の人柄の良さが大きかったです。出会った人たちは皆とてもおおらかで、島全体がとてつもなく平和だなと感じました。事件なんてほぼ起きません。家の鍵は基本開けっ放しで、車の鍵もロックしません。子供が一人で夜中に歩いていても何の心配もありません。こんなに自然が美しく、そして安全な人間コミュニティーは他にないと思い、ここなら生きるために自分のするべきことを見つけられるかなと感じました。

松江:最初に小笠原に行かれてから移住するまではどのくらいかかりましたか?

スフォルツァ:3-4年ですね。移住するまでには3回行きました。最初の旅行から今の妻(当時は未婚)と一緒に行っていたのですが、予想に反して彼女も(小笠原への移住に対して)乗り気だったんです。彼女も街出身なのでその反応は意外でしたね。

松江:実際移住される際に何が一番大変でしたか?

スフォルツァ:まず大変なのが家を探すことなんです。基本的に空き家がほとんどないんですよ。オーナーや大家さんの口コミで決まってしまうため全然情報が入ってこないんです。そもそも戸数が少ないですし。

松江:島全体として移住者を積極的に誘致しているということもないのですか?

スフォルツァ:積極的か言われればそうではありませんね。地方創生みたいな動きは特に見受けられません。ただ若い人はいっぱいきます。永住というわけではありませんが、短期で働いてお金貯めて、でまたどこかに行くみたいな。だから入れ替わりは激しいですね。1-3年くらい島にいたっていう人は割と多いと思いますよ。



松江:第1号の後記に「小笠原ほど様々な魅力と特殊性を持った場所は世界にも多くありません」という記述がありますが、どのあたりにそれを感じますか?

スフォルツァ:一つは歴史的背景。小笠原諸島は元々欧米人やポリネシア系の人々が定住していました。正式に日本となってから日本人も一緒に暮らすようになり、独自の言葉や文化が形成され始めました。今ではその文化的特徴は薄くなってきましたが、まだ残っているものもあります。ただ、これらの出来事はわずか200年弱前に始まったことですので、小笠原の歴史は若く、まだ始まったばかりとも言えます。
また、個人的に大きな特徴だと思うのは距離感ですね。小笠原諸島は東京から1000km離れていますが、たどり着くのに24時間かかります。この時間的距離は自分達の住む国や社会に対する客観的な視点を与えてくれます。おかげで同じ日本に暮らしていても、この国や社会に対する考え方は少し変わってきます。目まぐるしく変化し、混沌としてきた現代に生きる上でこのような視点を持てるというのは非常に貴重で重要なことだと思います。
あと、人間の住む場所と自然との距離感がとても近いです。海はどこに住んでいても数分以内にあるし、山や森に入りたければ同じような距離にある。このように、島の中と外の世界をとりまく距離感が絶妙だと思います。
もちろん自然環境に目を向けないわけにもいきません。小笠原の島々っていうのは一度も大陸と陸続きになったことがなく、独自の生態系を形成しています。そのため小笠原にしか存在しない植物や生き物が数多くあります。その特殊性はやはり魅力です。世界自然遺産でもある小笠原の自然は世界でここにしかありません。

松江:まだ残っている独自の文化を感じたことはありますか?

スフォルツァ:米軍統治時代に建てられた建物もまだ多少ですが残っていますし、日本語と英語が混じり合ったような小笠原言葉っていうのはご年配の方がたまに使っているのを耳にします。

松江:小笠原言葉??気になります(笑)。

スフォルツァ:例えば、、、車のバックを見るときにこうやってやりながら(手でバックするジェスチャー)「ゴーヘイ、ゴーヘイ」って言ってるんですよ。のちに知ったんですがGo ahead(この場合の意訳としては『下がってきていいよ』)が訛って「ゴーヘイ」になったみたいです。そういう英語が砕けて日本語になるみたいなものは割と多くあります。

松江:暮らしやすさについては東京と比べてどうですか?例えば気候だったり。

スフォルツァ:東京みたいなはっきりとした寒暖の変化はありませんね。内地とは違うものですが植物の栄枯で四季を感じることもできます。あと《色》ですね。

松江:色?ですか?

スフォルツァ:空や海の色ですが、春が終わりに近づき夏っぽくなってくると一気に小笠原の夏の海の色に変わるんですね。信じられないくらいの透明度が出てきて、ちょっと沖に出ると青が物凄く深いんですね。その色は特殊ですね。小笠原ではそれを『Bonin Blue』っていうんですけど。それはもうここにしかないです。
夕日もすごく綺麗なんですが、秋の夕日と冬の夕日はやはり明らかに違うので、そういうもので四季を感じることもできます。


誌面には美しい写真がたくさん掲載されている


松江:食べ物はどうですか?【小笠原に来たらこれ!TOP5】お願いできますか?

スフォルツァ:

・ウミガメ料理(ほとんどのお店にあります)
・島寿司(主に漬けのサワラのにぎり)
・トマト(まずはそのまま食べるべし)
・レモン(そのままでも食べれるくらい甘い)
・ボニンアイランドコーヒー(USKコーヒーというカフェで飲めます)
※順不同

ですかね(笑)。

松江:ウミガメ!!???食べていいんでしたっけ??

スフォルツァ:はい。小笠原の伝統的な郷土料理です。だいたい刺身か煮込みでいただきます。

松江:刺身、、、。美味しいですか?

スフォルツァ:、、、(笑)。個人的には食べても食べなくてもいいという感じですね。

松江:でもウミガメを食べるということ一つとってもやはり独自の文化や歴史を辿ってきていること実感しますね。先ほど距離のお話もありましたが、小笠原の新鮮で地に足のついた情報がこちらに中々入ってこない理由がだいぶわかってきました。

スフォルツァ:島には娯楽施設がないこともあり、年間通して島民が参加する行事なんかも多く、どのイベントも大人から子供まで多くの人が参加して、みんな全力で楽しみます。そこも小笠原のとても良いところです。例えば夏の盆踊りは三日間続き、だんだん人が増えて踊りの輪は二重にもなり、最終日の最後の踊りの後は必ずアンコールがおきます。自分も旅行で訪れたときこれを目の当たりにして、「なんて平和なんだろう、、!」と思わず踊ってしまったのを憶えています。
秋にも例大祭があり、三日間の間に神輿担ぎや、相撲大会、演芸大会が行われます。1日かけて村を回る神輿担ぎの熱気もすごいですが、相撲大会も観客席に収まりきらないくらいに人が集まって盛り上がります。小笠原の相撲大会ということで、父島、母島、そして硫黄島に駐在している自衛隊員の方々もこの時期に合わせて来島し、参加します。いつも決勝に残る人達は素人とは思えない技と迫力です。その中でも硫黄島の自衛隊の人達は体を鍛えているだけあり手強く、この一戦は観客も注目の大一番です。どうしても ホームである父島や母島の出場者への応援の方が勝るので、いつも自衛隊の人達がヒールみたいになります(笑)。でも終わるとどちらが勝ってもみんな拍手で称え合う暖かい雰囲気がいつも印象的ですね。島民も自衛隊員に負けず劣らずの強さを発揮し、最近の大会では父島島民が続けて優勝しています。今年は誰が勝つのか、楽しみです。



・古き良きものを継承し、咀嚼し、更新する

紆余曲折を経て、東京から1000kmの孤島に移住することになったスフォルツァさんとフリーペーパーを結んだものは何なのか。生き方に迷っていたスフォルツァさんが何故メディアを作ったのか、伺いました。

松江:そもそもフリーペーパーを作り始めたきっかけは?

スフォルツァ:島に来て、この島の中で何かを見つけたいなと思っていました。自分自身の問題としても。そんな中で、第一号にも載っている『グリーンペペ』っていうお店に行った時にそのお店のマスターが40年以上も前に仲間と一緒に今でいうローカルメディアを発行していたというのを知って、それを見た時に「あ、これだ!」って思いましたね。それは、自分たちが言いたいことや興味のあることをただ書き連ねて発行していたものなのですが、自分もこういうことがやりたいなーっていうのは以前からぼんやりと思っていたので、最初はもうこれを手本に、島民の声をかき集めてそれを発行するというところから企画を始めました。

松江:その40年前に発行されていたというのが『スコール』なんですけど、これめちゃくちゃすごいですよね!!ORBの紙面上で解読できる部分は読みましたけど、現代にも通じる内容が書かれていたり現代社会を示唆しているように読み取れる部分などもあって。便利になったとはいえ、人間は欲深いので結局同じ悩みを抱えてるなーって(笑)。
でこれ、紙媒体だからこそ今こうやって読むことができていると思うんですよね、もちろん当時はインターネットなかったので選択肢としてないわけですけど、現代に置き換えてもそう思います。

スフォルツァ:そうですね。自分も読んだ時に同じようなことを感じましたね「今と言ってること同じじゃん」って(笑)。

松江:原本は『グリーンぺぺ』のマスターが今でもお持ちになられているのですか?

スフォルツァ:はい。これは絶対記録しなきゃいけないなということで、データに起こして書籍という形にできたらいいなとは思っています。

『ORB』の原点となった『スコール』掲載ページ


松江:好きなフリーペーパーとか影響受けたフリーペーパーとかありますか?

スフォルツァ:『88』っていうフリーペーパーですね。フリーペーパーを企画する前にたまたま島の知り合いにもらいました。初めてちゃんとフリーペーパーというものに目を通し、自分のフリーペーパーの《あるべき感じ》みたいなイメージのベースになったと思います。紙質や大きさがフリーの雑誌であるという感覚に当てはまっていて、それでも中身の作りはしっかりしていてデザインがかっこいい。フリーであるという感覚を大事に表現しつつ、このように質の高いものがあるんだと感激しました。
その後、フリーペーパーを作ろうと決めたとき真っ先に思い浮かんだのが『88』でした。雑誌の形や紙を選ぶのに参考にしようと思い、いろいろ調べました。ただ、島にいながらだと実際に印刷屋に足を運んで紙質を確かめたりもできないので、すみませんと思いながら同じ印刷会社様に問い合わせて、最終的に同じ紙と判型がいいと思い、依頼しました。そして仕上がりを手に取ったとき、正解だったと思いました。自然との暮らしを大事にしようとしている小笠原諸島のフリーペーパーの感覚としてピッタリだなと。なので『88』には非常に感謝しています。

フリーペーパー『88』(奥)と『88』の元編集長菊地さんが現在発行している『DEAL』(手前)


・『ORB』が見据える先

作りたいものを作るということは大切なことであるが、読者をしっかり想定することもやはり大切であります。このフリーペーパーが小笠原やその島民にとってどのように解釈され、またそれはどのような役割を果たしていくのか。

松江:『ORB』という冊子はそもそも島民の方々に向けられているメディアなのですか?

スフォルツァ:まずは島民が楽しんで読めるものであることが『ORB』の基本的な姿勢です。しかしそれは同時に小笠原には住んでいないけど小笠原のことが好き、または惹かれているという人たちにとっても興味深い内容になっていると思います。小笠原の観光情報は近年増えましたが、小笠原の人やライフスタイルについて伺えるものはありません。『ORB』はそのような小笠原の本質的な部分を島民の目を通して写す役割を持っています。ORB(球体)の名前も、小笠原の核心的なものを覗ける《目》という意味があります。そういう小笠原の島と人の人生みたいなものを覗くことによって、小笠原の知らなかった側面に気づき、旅しにいってみよう、もしくは移住してみようと感じてもらえたら最高です。
また、日本語と英語が使用されている理由は、小笠原の言葉は元々英語と日本語の両方であったという文化を示したいからです。今でも欧米系の子孫の島民で、英語の方が楽という人達はいます。本当の意味で、小笠原の島民全員が楽しめるには英語も重要なのです。

松江:では、島民の方だけではなく外に向かって小笠原をPRしていくという側面も含んでいるのですね。

スフォルツァ:はい。自分が知っている小笠原っていうところはこんなに面白いところなんだよ!っていう。島民だってそれぞれで住んでいるところも違えば、している仕事も違うし、同じものを見ても感じることは違う。個々それぞれに『小笠原の世界』があると思うんですよね。だから、『ORB』は自分の目から見た小笠原の世界なんです。

松江:編集者の主観がふんだんに入っていることは重要だと思いますね。その辺りが『ORB』の面白さに繋がっているのだと思います。

スフォルザ:ありがとうございます。

松江:『ORB』を読んだ小笠原の人たちからの反応はいかがですか?

スフォルツァ:ポジティブな意見が多かったですね。 雑誌の手触りがすごく小笠原のイメージに合っているとか、デザインの雰囲気が好きなど、多くの人にすごく喜んでもらえました。第一号を見て広告を載せたい!と言ってくれた人も多かったです。その中でも一番良く言われたのが島への愛が伝わったという声だと思います。小笠原の島民は皆、島に対する愛が非常に強いので、そのように言ってもらえるのが一番の褒め言葉ですね。ORBは島民の人に一番楽しんで欲しいと思っていたので、素直にうれしかったです。

松江:今後のビジョンについてお伺いします。第二号の紙面のpatagoniaとの交流プロジェクトのように、外との交流も積極的に行いたいとお考えですか?

スフォルツァ:興味はすごくあります。小笠原は来年返還50周年で一つ節目の年になります。もしかしたらこれから色々変化していく時期なのかもしれないと思っていて、将来の小笠原がどうなっていくのか、まずは自分たちがしっかりとしたビジョンを持つことがすごく大事なのではないかと思っています。外との交流からいいアイディアをもらったり刺激を受けたりすることはそのビジョンを形成していく上でとても重要なことだと思っています。

松江:ありがとうございました。最後に【スフォルツァ流小笠原諸島の通な楽しみ方】をご教授いただけますでしょうか?

スフォルツァ:小笠原まで来たら時間を気にせずにゆっくり楽しむのが通な島の楽しみ方だと思います。ドルフィンスイムやカヤック、森歩きなどのアクティビティーも間違いなくおすすめですが、その日の天気や気分によって自由に過ごすのが自然相手に楽しむコツかもしれません。例えば、

・飲み物、ご飯、本を持って小港海岸で一日まったりしたり泳いだりする。
・海がベタ凪ならSUP(スタンドアップパドル)で海遊散歩。
・USKコーヒーで100%ボニンアイランドコーヒーを飲み、カフェすぐ横のコーヒー畑の風景を楽しむ。
・自分の好きな夕日スポットを見つける(一年中見える場所もあれば、季節毎にしか見えない場所もあります)
・母島に行く(母島は父島からさらに2時間程の船旅なので、母島まで行く人は間違いなく通と言えます)
・ジョンビーチへのハイキング。片道2時間半ほどかかるが、素晴らしい父島の南側の風景が360度広がる。
暑い季節には水着とシュノーケルを持ってゴールのジョンビーチの青い海で泳ぐ。水2リットルは必ず忘れないように。
・奥村地区にあるバー・ヤンキータウンで酒を飲みながらオーナーのランスから島の昔話を聞く。

具体的な場所で言いますと、小港海岸(島では数少ない砂のビーチ)、ジニービーチ(カヤックやSUP等でしか行けない、別次元のビーチ)、アカガシラカラスバト・サンクチュアリー(絶滅危惧種のハトを守り、島固有の植物が多く見れる自然保護区域)、ウェザーステーション(太平洋に沈む夕日が見れる展望台)

などはいかがでしょうか?



東洋のガラパゴスと呼ばれる絶海の孤島で発行されるZINEは、島の歴史・文化がそうであったように、西洋と東洋の交配によって生み出されたハイブリッドマガジンでありました。それは、発行人すなわちハーフであるスフォルツァさんご自身であるかのようでもありました。お話を伺う中で徐々に見えてきた姿、そしてそれと逆行するかのようにやっぱり現地に行って、見て、感じないとわからないぞという謎は同時に色濃くなっていきました。つまりまんまと虜になったわけであります。
おすすめはやはり夏(だそうです)!今年はもう終わってしまいそうですが、日本返還50周年である2018年の夏、小笠原諸島でお会いしましょう!!

《おまけ》
「あまり(数が)ないんですよ、、」と言いつつおすすめの食べ物を5つも挙げてくださったスフォルツァさんですが、おすすめのお食事処も5つ挙げてくださいました!なんてサービス精神旺盛なんだ、、、!!Thank you for your hospitality!!You are the man!!

【父島のおすすめごはん処5選】
茶里亭(チャーリーブラウン)
島の食材を提供してくれる人気のお店。2店舗体制で、居酒屋気分なら茶里亭、洋食系の料理ならチャーリーブラウンへ!

グリーンペペ
おそらく父島で最も古いレストランで、ORBの原点です

ボニーナ
港のすぐ近く、おしゃれな雰囲気のレストラン。お酒の種類も豊富で、個人的おすすめはランチのポキ丼

ラドフォード
島のサーフレジェンドが作るおいしい島料理が堪能でき、カラオケも楽しめる南国のレストラン

あめのひ食堂
船が着いてすぐにうまいランチが食べたいならココ!


interview・text 松江(ONLY FREE PAPER)
photo 野村(ONLY FREE PAPER)


2017-09-12 | Posted in OFP STAFF, インタビューNo Comments » 
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